仕事柄、うちにはSOHO向けサービスの営業電話がよくかかってきます。
「もしもし、私、ビジネス向け各種ソリューションや経費削減の各種ご提案をご案内いたしておりますホニャララサービスのスズキと申します」
「ただいま弊社では業務用FAXのご提案をさせていただいておりまして、御社におかれましては現在どのようなFAXをご利用でしょうか?」
・・・業務用FAXのリースの案内か。月額使用料数千円。FAXはときどき使うけれど、業務用のやつを入れるほどFAX依存度は高くなく、家庭用FAXで十分事足りています。だから見送りかな。
そして数か月後。
「もしもし、私、ビジネス向け各種ソリューションや経費削減の各種ご提案をご案内いたしておりますホニャララサービスのヤマダと申します」
お、ホニャララサービスさんとな。覚えているぞ。
「あのぅ、以前も弊社からFAXのご案内をさせていただいたと思うんですが、その後御社におかれましてはFAXについては何かお困りではないでしょうか?」
いやー、状況は数か月前と変わっていないので、今回もおことわり。
SEO会社からは、もっとしょっちゅう電話がかかってきます。
「もしもし、私、ウェブサイトの検索上位表示やキーワード広告、その他各種SEO対策をご案内いたしておりますナントカネットのタナカと申しますが、ウェブのご担当の方はいらっしゃいますでしょうか?」
――はいわたくしですが。
外注に出さなければいけないほど困っていないし、SEOだけに予算をつぎ込むわけにはいかないので、おことわり。
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そして数か月後。
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いやー、状況は数か月前と変わっていないので、今回もおことわり。
SEO会社からは、もっとしょっちゅう電話がかかってきます。
「もしもし、私、ウェブサイトの検索上位表示やキーワード広告、その他各種SEO対策をご案内いたしておりますナントカネットのタナカと申しますが、ウェブのご担当の方はいらっしゃいますでしょうか?」
――はいわたくしですが。
外注に出さなければいけないほど困っていないし、SEOだけに予算をつぎ込むわけにはいかないので、おことわり。
自分がシューペル・ランドヌールを取得できたら、そのときに感想を書こうと思っていた2冊の傑作本。
作者の米津一成さんは、40代になってロードバイクに乗り始め、ツール・ド・おきなわ、東京糸魚川ファストラン、ブルベと、ロングライドへとのめり込んでいったのだそうです。
100km・・・200km・・・300km・・・と、走る距離ごとにそこに到るまでのきっかけや走行ノウハウ、体験談などが語られていくのですが、この本の何がケッサクかって、100km/200km/300kmという距離の区切りごとに崖のような段差があるわけではなくて、100kmから300kmまで、なだらかな斜面が地続きになっているかのように描かれていることです。
100km行ければ200kmは行ける。200km行ければ300kmが見えてくる。
この感覚は、ママチャリで最寄駅までしか行ったことがない人から見れば理解不能な感覚だと思います。ママチャリにしか乗らない人や、クルマに依存気味の人は、自転車では10km以上の移動ですらしんどいでしょうし。
けれどスポーツサイクルに乗り始めればいつの間にか走れてしまう距離、それが300kmだと言うのです。
この本を読んだ当時(2008年夏)は、僕の一日最高走行距離は279km(「楽しむための自転車学」の房総ツーリングへの自走参加)、第二位が242km(1本だけ出たブルベ200km+自走帰宅)、第三位が206km(鈴鹿8耐)・・・つまり300km以上走ったことはありませんでした。
当時はまだスポルティーフの納車前で、ランドナーでのツーリング派だったので、観光交えて1日100kmが標準的な一日の行程でした。もちろんそれ以上乗ることもありますが、150kmを超えれば相当乗ったという感覚で、1日300kmというのはまだ考えられない頃でした。
けれどかつては100km走るだけでも一杯一杯だったのに、今では100kmは十分に余裕を持って走れる距離になったという10年がかりの自分の変化を考えると、100→200→300が地続きという感覚も、50→100→150が地続きという感覚と似ているのかもしれないなぁと想像していました。
距離が何百キロという数字は本題ではなく、自転車で走れる距離というのは、実は地続きなんですヨというのが、この本の肝だと思います。走っていればそのうち着くという感覚は、何も超長距離のロングライドに限った話ではありません。ゆえに300kmや400kmというヘンタイ的な距離は想定せず、160kmのセンチュリーラン完走が目標だという人でも、この本は十分楽しめるんじゃないでしょうか。
そして2009年。今年は200kmだけじゃなく、もっと長い距離のブルベにも出て、あわよくばシューペル・ランドヌールまで行ってしまうぞ〜と思いながら読んだ本が、続編の「ロングライドに出かけよう」です。
![]() | 自転車で遠くへ行きたい。 (2008/06) 米津 一成 商品詳細を見る |
作者の米津一成さんは、40代になってロードバイクに乗り始め、ツール・ド・おきなわ、東京糸魚川ファストラン、ブルベと、ロングライドへとのめり込んでいったのだそうです。
100km・・・200km・・・300km・・・と、走る距離ごとにそこに到るまでのきっかけや走行ノウハウ、体験談などが語られていくのですが、この本の何がケッサクかって、100km/200km/300kmという距離の区切りごとに崖のような段差があるわけではなくて、100kmから300kmまで、なだらかな斜面が地続きになっているかのように描かれていることです。
100km行ければ200kmは行ける。200km行ければ300kmが見えてくる。
この感覚は、ママチャリで最寄駅までしか行ったことがない人から見れば理解不能な感覚だと思います。ママチャリにしか乗らない人や、クルマに依存気味の人は、自転車では10km以上の移動ですらしんどいでしょうし。
けれどスポーツサイクルに乗り始めればいつの間にか走れてしまう距離、それが300kmだと言うのです。
この本を読んだ当時(2008年夏)は、僕の一日最高走行距離は279km(「楽しむための自転車学」の房総ツーリングへの自走参加)、第二位が242km(1本だけ出たブルベ200km+自走帰宅)、第三位が206km(鈴鹿8耐)・・・つまり300km以上走ったことはありませんでした。
当時はまだスポルティーフの納車前で、ランドナーでのツーリング派だったので、観光交えて1日100kmが標準的な一日の行程でした。もちろんそれ以上乗ることもありますが、150kmを超えれば相当乗ったという感覚で、1日300kmというのはまだ考えられない頃でした。
けれどかつては100km走るだけでも一杯一杯だったのに、今では100kmは十分に余裕を持って走れる距離になったという10年がかりの自分の変化を考えると、100→200→300が地続きという感覚も、50→100→150が地続きという感覚と似ているのかもしれないなぁと想像していました。
距離が何百キロという数字は本題ではなく、自転車で走れる距離というのは、実は地続きなんですヨというのが、この本の肝だと思います。走っていればそのうち着くという感覚は、何も超長距離のロングライドに限った話ではありません。ゆえに300kmや400kmというヘンタイ的な距離は想定せず、160kmのセンチュリーラン完走が目標だという人でも、この本は十分楽しめるんじゃないでしょうか。
そして2009年。今年は200kmだけじゃなく、もっと長い距離のブルベにも出て、あわよくばシューペル・ランドヌールまで行ってしまうぞ〜と思いながら読んだ本が、続編の「ロングライドに出かけよう」です。
ブルベの後、一度も自転車に乗ることのないまま、そして市民プールにも一度しか行かぬまま、3週間が経過。足首の太さは元に戻ったし、もう熱も帯びていませんが、未だに足首の患部がピンポイントで圧痛が消えず、たんこぶのようにブニョブニョしています。
そしてスポーツクラブまでトコトコ歩いて行き、退会の手続き。
一応クロールができるようになった今、当初の目的は達成。
毎週毎週決まった時間に必ず行かなくてはいけないのもそれなりに負担が・・・。
自転車が原因で脚を傷めたときや膝の外が張っているときは、やりたくない練習(平泳ぎのキックとか)は休みたい。けれど休むと授業料もったいないよなぁ・・・。
など、諸々の理由でやめることに。100%市民プールスイマーに復帰です。復帰してないけど。
そしてスポーツクラブまでトコトコ歩いて行き、退会の手続き。
一応クロールができるようになった今、当初の目的は達成。
毎週毎週決まった時間に必ず行かなくてはいけないのもそれなりに負担が・・・。
自転車が原因で脚を傷めたときや膝の外が張っているときは、やりたくない練習(平泳ぎのキックとか)は休みたい。けれど休むと授業料もったいないよなぁ・・・。
など、諸々の理由でやめることに。100%市民プールスイマーに復帰です。復帰してないけど。
ブルベの後、まったく自転車に乗るイメージが湧いてきません。
ネットで、バスツアーなんか探しちゃったりしてます。
「搭乗券+宿泊券」とかじゃなくて、な〜んも考えんと、バスで現地まで連れて行ってくれるのがいいですね。宿もご飯も用意してあって、温泉などがあれば最高です。
でも、お一人様でも参加OKのバスツアーなんてあるんですかね?小学生のお子様一人向けツアーとかになってしまいそうだ。
って・・・ブルベの反動がひどすぎる・・・。
ネットで、バスツアーなんか探しちゃったりしてます。
「搭乗券+宿泊券」とかじゃなくて、な〜んも考えんと、バスで現地まで連れて行ってくれるのがいいですね。宿もご飯も用意してあって、温泉などがあれば最高です。
でも、お一人様でも参加OKのバスツアーなんてあるんですかね?小学生のお子様一人向けツアーとかになってしまいそうだ。
って・・・ブルベの反動がひどすぎる・・・。
相変わらず自転車禁止、30分以上の散歩も禁止ですが、水泳はOK。
自転車「禁止」というより、自分でも全然乗りたいと思わないんですが。
「そろそろまた筋肉を動かして血液を送り込まないと、固くなっちゃいますからね〜」と鍼灸・接骨院で言われました。
■クロール 50×2、100×2、200×2(700m)
■ウォーキング 300mくらい
しかし、やはり足首を底屈させると痛む・・・・。もう2週間近く経つのに。
自転車「禁止」というより、自分でも全然乗りたいと思わないんですが。
「そろそろまた筋肉を動かして血液を送り込まないと、固くなっちゃいますからね〜」と鍼灸・接骨院で言われました。
■クロール 50×2、100×2、200×2(700m)
■ウォーキング 300mくらい
しかし、やはり足首を底屈させると痛む・・・・。もう2週間近く経つのに。
当日の実走ログはこちらから。
→【2009BRMアタック会津(埼玉600km)実走ログ】
詳細レポートはこちらです。(読むのに1時間くらいかかります)
オマケ。キューシートの取付方法。

シフトがSTIではなくWレバー方式なので、ブラケットからはケーブルが突き出しておらず、よくあるようにシフターケーブルにクリップで留めるという方法が取れません。
前回まではフロントバッグの上に取り付けていましたが、今回は荷物はすべてサドルバッグ(コントアーマグナム)に収納したので、キューシートホルダーをあらためて用意する必要がありました。
そこで・・・割り箸とゴムの被覆付き針金でホルダーを急ごしらえ。ここにクリップで留めました。
キューシート入りのクリアポケットの重みと降雨を吸ってしまったのとで、割り箸が下に反ってしまいました。・・・・これ、もうちょっとスマートにしたかった(笑)
→【2009BRMアタック会津(埼玉600km)実走ログ】
詳細レポートはこちらです。(読むのに1時間くらいかかります)
オマケ。キューシートの取付方法。

シフトがSTIではなくWレバー方式なので、ブラケットからはケーブルが突き出しておらず、よくあるようにシフターケーブルにクリップで留めるという方法が取れません。
前回まではフロントバッグの上に取り付けていましたが、今回は荷物はすべてサドルバッグ(コントアーマグナム)に収納したので、キューシートホルダーをあらためて用意する必要がありました。
そこで・・・割り箸とゴムの被覆付き針金でホルダーを急ごしらえ。ここにクリップで留めました。
キューシート入りのクリアポケットの重みと降雨を吸ってしまったのとで、割り箸が下に反ってしまいました。・・・・これ、もうちょっとスマートにしたかった(笑)
我らがタイガース、なんかずいぶん悶え苦しんでるやないですか・・・
2003年の優勝、2005年のJFK完成以降、(移籍による補強は別として)オリジナルのチーム力は全然アップしていないような・・・
アップどころか、新しい力が出てきていない分、黄昏に向かっているんじゃ?
だいたい、ライトを固定できないって、林は?桜井は?じゃあ桧山は?
濱中が肩をケガしていなくて、タイガースのライトを守っていれば・・・って今でも思います。今頃四番打者としてバシバシ打ちまくってただろうに・・・。今、オリックスではどないしてるんでしょうかね?濱中の代わりにトレードで移籍してきた平野選手はタイガースで活躍してるようですが。
でも今年はジャイアンツを少しはヒイキにしてもいいかなって思っているんですよ。
ジャイアンツというか、原監督のチームを。
キャンプの時期にチームを離れないといけないのに、WBCの監督引き受けてくれたし・・・。ジャイアンツ監督の立場だと、本人に拒絶の自由はないんでは?すべて自分の意思として飲み込まなくてはならないんでは?それに常設日本代表の監督とやらにも名前が挙がっていたし。
ジャイアンツはやっぱし好かんけど、原監督のことはキライではないんよ。(WBCの影響を受けなかったドラゴンズじゃなくて)ジャイアンツが首位を走っていて、ある意味ほっとしてます。
2003年の優勝、2005年のJFK完成以降、(移籍による補強は別として)オリジナルのチーム力は全然アップしていないような・・・
アップどころか、新しい力が出てきていない分、黄昏に向かっているんじゃ?
だいたい、ライトを固定できないって、林は?桜井は?じゃあ桧山は?
濱中が肩をケガしていなくて、タイガースのライトを守っていれば・・・って今でも思います。今頃四番打者としてバシバシ打ちまくってただろうに・・・。今、オリックスではどないしてるんでしょうかね?濱中の代わりにトレードで移籍してきた平野選手はタイガースで活躍してるようですが。
でも今年はジャイアンツを少しはヒイキにしてもいいかなって思っているんですよ。
ジャイアンツというか、原監督のチームを。
キャンプの時期にチームを離れないといけないのに、WBCの監督引き受けてくれたし・・・。ジャイアンツ監督の立場だと、本人に拒絶の自由はないんでは?すべて自分の意思として飲み込まなくてはならないんでは?それに常設日本代表の監督とやらにも名前が挙がっていたし。
ジャイアンツはやっぱし好かんけど、原監督のことはキライではないんよ。(WBCの影響を受けなかったドラゴンズじゃなくて)ジャイアンツが首位を走っていて、ある意味ほっとしてます。
(つづき)
■600kmの代償は大きかった。
ブルベ600kmを完走し、一週間が経ちましたが、相変わらず右足首は腫れたままです。痛みは当初よりかなり薄れてきましたが、まだ運動できるような状態ではありません。
鍼灸・接骨院に行ったら、「打撲やねんざでもないのに、使いすぎだけでこんなに腫れているのは見たことがありません」とセンセーにあきれられました。たかが遊びで何やってんだか。当分自転車は禁止、水泳も禁止、湯船に浸かるのも禁止。
ほんと、ケガなく帰ってこられたらもっとウキウキだったのに。
片足を引きずらないと歩けないなんて、これがもし会社勤めの人だったら「何やってるんだバカモン!」だろうし、一家のおとーさんだったら、ご家族の方から自転車での遠出の許可が下りなくなるだろうし、メッセンジャーでシフトに穴を開けたりしたらペナルティもんです。
幸い、今の僕は会社勤めでも一家のおとーさんでもメッセンジャーでもないので、社会生活への影響は少なくて済んでいるのですが。
千葉400km(+宿からスタートまでと、ゴールから自宅までの自走)のときは、通しで506km走り、筋肉痛はあったけれど関節系のダメージはナシでした。あのときの様子からすると、無事に行けると思ったんですけれどね。獲得標高の多さにやられたかな。(5000m以上。でも5000mで済んだともいう)
実は、この600kmを「無事に」クリアできたら、9月の1000kmにもチャレンジしようなどとこっそり考えていました。
けれどこの感じでは、考え直してしまいますね。とても「無事」と呼べるような状態ではありません。これのどこが「持続可能」な遊びなんだ???自分のポリシーとはちがうぞ、ケガしてまで走るというのは。
ケガをしてしまったせいで、シューペル・ランドヌールの達成感も曇ってしまいました。
■ブルベに魅力はあるか?
ブルベに魅力はあるのか?ブルベの魅力とは何ぞや?
ブルベ自体に「魅力」とやらが当然のように内在しているわけではありません。
ブルベに魅力があるのではなく、ブルベに魅力を見出すことができるかどうか、自分自身の感性が試されているんですよね。すべては自分の感じ方次第。
暗闇のヒルクライムやダウンヒルはちっとも楽しくないし、そもそも普通に危険。自分のツーリングならそんな無謀な計画は練らないですね。ほとんど寝ずに走るとかいうのも身体に悪い。なんで宿に泊まれねーの?なんで宿泊のマージンがもらえるルート・エヌじゃいけねーの?ゆっくり観光するでもなく、フラフラ美味を求めてさまようでもなく、ただひたすら走るだけ。ブルベはいろいろおかしいイベントです。もう二度とやるかヴォケッ!と言いたくもなります。
ブルベ参加者のブログなどを見ると「まさに距離感が壊れたヘ○タイですね(笑)」などと、自分で自分に対して(笑)マークを挿入していますが、僕は(笑)マークを入れる気分ではありません。(笑)じゃなくて(痛)だぜマッタク・・・。
すべては自分の感じ方次第。それは別にブルベや自転車に限ったことではありませんが、上に挙げたいろいろな「おかしい」要素と、自転車という素晴らしい乗り物が融合することで、分かりやすい形で自分の感じ方が試されるのがブルベです。
「おかしい」要素を自分の中でいなしたり、消化したりできたら、ブルベが一気に楽しいものになる、と思います。一方、ブルベを走る「ストーリー」が自分自身の中にないと、ホンマしょーもないイベントになるのはまちがいなし。
ブルベ自体に魅力はありません。
正確に言うと、ブルベ自体に魅力がある、というわけではありません。
けれどブルベに魅力を感じたり感じなかったりするのは他の誰でもない自分自身です。
僕が今回の600kmで得たいちばん大きい果実は・・・・一日に100kmくらいしか走らない観光メインのツーリングが、いかに楽しくてありがたいものであるかを再発見したことかな。
もう少し絞ってブルベについていうなら、終盤、黒キャノ氏やMAP60氏と共闘してゴールできたこと。400kmまでの自分なら、最後まで一人で頑なに突っかけてゴールしてしまったと思います。
過去10年、北海道から九州、沖縄にいたるまであちこち旅行して、実は最近、少々「馴れ」が来ていたのですが(少なくとも国内に関しては「チャレンジ」ではなくなってきたということ)、今回わざわざ会津まで出かけたくせに観光もせず40時間で走ってきて終わりという、ツーリング的観点では「下の下の下」の体験をしたことで、かえってツーリングの贅沢さを感じました。
次回の自分のツーリングは、これまで以上に楽しいものとなりそうです。
■ブルベは誰にでもできる??
僕はかつてメッセンジャーをやっていましたが、メッセンジャーは毎日約100km(80〜120km)を走ります(ただし「1日100km」ではなく「毎日100km」です)。こう言うと、「えー!そんなに走るんですか!」と驚かれるのですが、もちろんいっぺんに100km走るわけではありません。
いっぺんに走るのは3kmとか5kmくらいのごく短い距離です。自分のいるポイントから引取先まで。引取先から届け先まで。届け先から次の引取先まで。ビルに入館して建物の中を移動している時間や、待機している時間もあるので、走りっぱなしというわけではありません。いつの間にか、ああ今日はもう100km走ったのか、という感じ。
だから、メッセンジャーになるにあたっては、自転車経験者である必要はまったくありません。体育会系である必要もありません。少なくとも体力面に関して言えば(上級者になれるかどうかは別として)「誰でもできる」のがメッセンジャーだといえます。10時間稼働して100kmしか乗らないのだから、時間あたり走行距離はポタリング程度です。意外とハードルが低いですね。
ブルベもまたしかり。
ブルベでは、ところどころにPC(コントロールポイント:point de controle)が設定されているので、そのPCまでの数十kmを目標に走るというそのくり返しです。あ、いつの間にかこれだけ走ってしまった・・・そのくり返しが200kmであり600kmであるわけです。そうか、こういう感じなのか・・・という、これまでに分からなかった距離感覚を体験できたのは新鮮でした。人間、意外と走れるものなんだなと(600kmでは大ダメージを負いましたが)。
ブルベを制限時間内に走りきるのは、決して選ばれた者だけの特殊能力ではありません。
すべての自転車乗りが、200kmなり600kmなりを走りきるポテンシャルを内に秘めているのだと思います。
ブルベに出る人と出ない人の差は、そのポテンシャルが実際に発現するかどうかというところだけじゃないでしょうか。あとは適切な装備と作戦。
■またブルベに出るのか?
自転車旅行を始めた頃は、自分にとっては新鮮なチャレンジでした。
初めてテントで野宿したときもそう。
初めて鈴鹿8耐に参加したときも新鮮なチャレンジでした。
「楽しむための自転車学」で、初めて他の人と「ポタリング」をやったのもそう。
メッセンジャーになったのも新鮮なチャレンジでした。
そしてブルベも・・・・自分の自転車生活に久々に訪れた大きなチャレンジでした。
一気にこれだけのレポートが書けたのが何よりの証(読むのたいへんだけど)。
でも今はもう、ブルベには出たくありません。
出たくないけれど、でも出てよかったとも思います。
けれどもしまたブルベに出れば、埼玉200kmで会ったピナレロ氏、レッドスター氏、蛍光ジャージ女史、埼玉300kmで会ったヤング氏、マスク氏、千葉400kmで会ったライジン氏、白・黒・赤ライン夫妻、ケルビムカップル、イケメン氏、トール氏、埼玉600kmで会った黒キャノ氏、MAP60氏、実況中継氏、余裕氏、その他多くの皆さんに、また会えるような気がします。
だから・・・・また出るかもね。
(ブルベ編 完)
■600kmの代償は大きかった。
ブルベ600kmを完走し、一週間が経ちましたが、相変わらず右足首は腫れたままです。痛みは当初よりかなり薄れてきましたが、まだ運動できるような状態ではありません。
鍼灸・接骨院に行ったら、「打撲やねんざでもないのに、使いすぎだけでこんなに腫れているのは見たことがありません」とセンセーにあきれられました。たかが遊びで何やってんだか。当分自転車は禁止、水泳も禁止、湯船に浸かるのも禁止。
ほんと、ケガなく帰ってこられたらもっとウキウキだったのに。
片足を引きずらないと歩けないなんて、これがもし会社勤めの人だったら「何やってるんだバカモン!」だろうし、一家のおとーさんだったら、ご家族の方から自転車での遠出の許可が下りなくなるだろうし、メッセンジャーでシフトに穴を開けたりしたらペナルティもんです。
幸い、今の僕は会社勤めでも一家のおとーさんでもメッセンジャーでもないので、社会生活への影響は少なくて済んでいるのですが。
千葉400km(+宿からスタートまでと、ゴールから自宅までの自走)のときは、通しで506km走り、筋肉痛はあったけれど関節系のダメージはナシでした。あのときの様子からすると、無事に行けると思ったんですけれどね。獲得標高の多さにやられたかな。(5000m以上。でも5000mで済んだともいう)
実は、この600kmを「無事に」クリアできたら、9月の1000kmにもチャレンジしようなどとこっそり考えていました。
けれどこの感じでは、考え直してしまいますね。とても「無事」と呼べるような状態ではありません。これのどこが「持続可能」な遊びなんだ???自分のポリシーとはちがうぞ、ケガしてまで走るというのは。
ケガをしてしまったせいで、シューペル・ランドヌールの達成感も曇ってしまいました。
■ブルベに魅力はあるか?
ブルベに魅力はあるのか?ブルベの魅力とは何ぞや?
ブルベ自体に「魅力」とやらが当然のように内在しているわけではありません。
ブルベに魅力があるのではなく、ブルベに魅力を見出すことができるかどうか、自分自身の感性が試されているんですよね。すべては自分の感じ方次第。
暗闇のヒルクライムやダウンヒルはちっとも楽しくないし、そもそも普通に危険。自分のツーリングならそんな無謀な計画は練らないですね。ほとんど寝ずに走るとかいうのも身体に悪い。なんで宿に泊まれねーの?なんで宿泊のマージンがもらえるルート・エヌじゃいけねーの?ゆっくり観光するでもなく、フラフラ美味を求めてさまようでもなく、ただひたすら走るだけ。ブルベはいろいろおかしいイベントです。もう二度とやるかヴォケッ!と言いたくもなります。
ブルベ参加者のブログなどを見ると「まさに距離感が壊れたヘ○タイですね(笑)」などと、自分で自分に対して(笑)マークを挿入していますが、僕は(笑)マークを入れる気分ではありません。(笑)じゃなくて(痛)だぜマッタク・・・。
すべては自分の感じ方次第。それは別にブルベや自転車に限ったことではありませんが、上に挙げたいろいろな「おかしい」要素と、自転車という素晴らしい乗り物が融合することで、分かりやすい形で自分の感じ方が試されるのがブルベです。
「おかしい」要素を自分の中でいなしたり、消化したりできたら、ブルベが一気に楽しいものになる、と思います。一方、ブルベを走る「ストーリー」が自分自身の中にないと、ホンマしょーもないイベントになるのはまちがいなし。
ブルベ自体に魅力はありません。
正確に言うと、ブルベ自体に魅力がある、というわけではありません。
けれどブルベに魅力を感じたり感じなかったりするのは他の誰でもない自分自身です。
僕が今回の600kmで得たいちばん大きい果実は・・・・一日に100kmくらいしか走らない観光メインのツーリングが、いかに楽しくてありがたいものであるかを再発見したことかな。
もう少し絞ってブルベについていうなら、終盤、黒キャノ氏やMAP60氏と共闘してゴールできたこと。400kmまでの自分なら、最後まで一人で頑なに突っかけてゴールしてしまったと思います。
過去10年、北海道から九州、沖縄にいたるまであちこち旅行して、実は最近、少々「馴れ」が来ていたのですが(少なくとも国内に関しては「チャレンジ」ではなくなってきたということ)、今回わざわざ会津まで出かけたくせに観光もせず40時間で走ってきて終わりという、ツーリング的観点では「下の下の下」の体験をしたことで、かえってツーリングの贅沢さを感じました。
次回の自分のツーリングは、これまで以上に楽しいものとなりそうです。
■ブルベは誰にでもできる??
僕はかつてメッセンジャーをやっていましたが、メッセンジャーは毎日約100km(80〜120km)を走ります(ただし「1日100km」ではなく「毎日100km」です)。こう言うと、「えー!そんなに走るんですか!」と驚かれるのですが、もちろんいっぺんに100km走るわけではありません。
いっぺんに走るのは3kmとか5kmくらいのごく短い距離です。自分のいるポイントから引取先まで。引取先から届け先まで。届け先から次の引取先まで。ビルに入館して建物の中を移動している時間や、待機している時間もあるので、走りっぱなしというわけではありません。いつの間にか、ああ今日はもう100km走ったのか、という感じ。
だから、メッセンジャーになるにあたっては、自転車経験者である必要はまったくありません。体育会系である必要もありません。少なくとも体力面に関して言えば(上級者になれるかどうかは別として)「誰でもできる」のがメッセンジャーだといえます。10時間稼働して100kmしか乗らないのだから、時間あたり走行距離はポタリング程度です。意外とハードルが低いですね。
ブルベもまたしかり。
ブルベでは、ところどころにPC(コントロールポイント:point de controle)が設定されているので、そのPCまでの数十kmを目標に走るというそのくり返しです。あ、いつの間にかこれだけ走ってしまった・・・そのくり返しが200kmであり600kmであるわけです。そうか、こういう感じなのか・・・という、これまでに分からなかった距離感覚を体験できたのは新鮮でした。人間、意外と走れるものなんだなと(600kmでは大ダメージを負いましたが)。
ブルベを制限時間内に走りきるのは、決して選ばれた者だけの特殊能力ではありません。
すべての自転車乗りが、200kmなり600kmなりを走りきるポテンシャルを内に秘めているのだと思います。
ブルベに出る人と出ない人の差は、そのポテンシャルが実際に発現するかどうかというところだけじゃないでしょうか。あとは適切な装備と作戦。
■またブルベに出るのか?
自転車旅行を始めた頃は、自分にとっては新鮮なチャレンジでした。
初めてテントで野宿したときもそう。
初めて鈴鹿8耐に参加したときも新鮮なチャレンジでした。
「楽しむための自転車学」で、初めて他の人と「ポタリング」をやったのもそう。
メッセンジャーになったのも新鮮なチャレンジでした。
そしてブルベも・・・・自分の自転車生活に久々に訪れた大きなチャレンジでした。
一気にこれだけのレポートが書けたのが何よりの証(読むのたいへんだけど)。
でも今はもう、ブルベには出たくありません。
出たくないけれど、でも出てよかったとも思います。
けれどもしまたブルベに出れば、埼玉200kmで会ったピナレロ氏、レッドスター氏、蛍光ジャージ女史、埼玉300kmで会ったヤング氏、マスク氏、千葉400kmで会ったライジン氏、白・黒・赤ライン夫妻、ケルビムカップル、イケメン氏、トール氏、埼玉600kmで会った黒キャノ氏、MAP60氏、実況中継氏、余裕氏、その他多くの皆さんに、また会えるような気がします。
だから・・・・また出るかもね。
(ブルベ編 完)
(つづき)
■落伍者を出すわけにはいかない!鈍足トレインが夜の街を駆けていく。
僕と黒キャノ氏、MAP60氏の3騎のトレインで鹿沼、壬生、都賀と、市街地を通り抜けていく。うーむ、僕はポタリング以外で集団で快速走行したことがほとんどないのだが、どうやって先頭でペースを作ればいいのだろうか?まぁブルベにはそれぞれ単騎で参加しているんだし、自分なりのペースで走っていけばいいか。抜きたければ抜いてくれ、追いつけないなら千切れてもらって構わない。とりあえず簡単な手信号だけは出そう。最初はそんなことを考えていた。
途中、オダックスのジャージを着たヒゲの男性が停まっている前を通り過ぎた。ヒゲの男性は復帰した後、モリモリと追いついて来て、僕ら3騎を追い抜いていった。トレインの先頭を走る僕は、そのヒゲ氏を追走する。時速25〜6kmというところか。なかなかいいペース。もう平坦地に入っているし、十分持続的について行けそうな感じだ。こちらもスピードを上げていく。
ん?バックミラーを見ると、黒キャノ氏とその後ろを走るMAP60氏がついてきていない。スピードを緩め、ヒゲ氏と黒キャノ氏の中間にポジション取りをし、後続の二人が追いついてくるのを待つ・・・・が、前を走るヒゲ氏の姿はどんどん遠ざかり、やがて見えなくなってしまった。
自分一人なら後を追ってついて行けそうだが、ここまでさんざん黒キャノ氏や実況中継氏に引いてもらったくせに、ここで自分だけ飛び出すっていうのは・・・「いや、それはありえないよな」
時間にはまだ余裕がある。
そもそも僕はPBPを目指しているわけではないし、「早くゴールする」ことにはまったく価値を見出していないのだ。だからブルベのレポートを書くときも、何時間何分でゴールしましたというリザルトもしくは自慢(自慢にならないタイムだけど)は一切書かない。何時間何分でゴールしましたというのは、道中何回オナラをしましたというのと同じくらい、自分には意味のない情報だから。
要は間に合うか間に合わないか、旅行の一環でブルベを走っている者にとっては、タイムに関して言えばその2つしかないのだ。だからブルベのリザルト発表で何時間何分というのが発表されず、「制限時間内完走」「DNF」の2種類の形でしか計測・表示されなかったとしてもいっこうに構わない。要所要所で想定タイムを考えていたのは、最終的に間に合わせるというただその一点だけのためである。
それに、ここで2人を置き去りにして自分だけ飛び出してさっさとゴールしたとしても、とても後悔することになるような気がした。後悔してまでより早いリザルトを残したいか?答えは否、だ。
何に参加の意義を見出すか、それが各人にゆだねられているのもブルベのいいところ。残り距離は100kmを大きく切っている。ジタバタすることもない。
ところが走っている途中で、猛烈な尿意と便意に襲われ、別な意味でジタバタすることになった。なのにこういうときに限ってコンビニやトイレが見当たらないのである。二人にもトイレに行きたい旨を告げ、道路の両側の建物に目を走らせながら市街地を進んでいく。しかし市街地の中心部は、銀行やら何やらで、かえってコンビニや公衆トイレがなかったりする。ありがちなパターンだよな。尿意はともかくこの便意はやばいぞ。何というか、相当「ゆるそうな」感じ。ここまでの道中、カリウム補給のために野菜ジュースをガブ飲みしてきたのだが・・・・。
居ても立ってもいられず、一人で猛スピードで突出することにした。ルート沿いに先行していることを二人に告げ、沿道の建物をチェックしながら駆けていく。うう、コンビニはないか、コンビニは・・・。栃木市の市街地中心部を通り抜け、ようやくファミリーマートを発見してピットイン。・・・・・はぁ〜スッキリした。
身も心も軽くなった後、黒キャノ氏とMAP60氏を待つ。3分経過。まだ追いついて来ない。僕がトイレに行っている時間を考えたら、じき追いついてきてもよさそうなものだが・・・。もしかしてこのコンビニを通り過ぎて、先に行ってしまったのだろうか?だんだん不安になる。5分経過。ようやく後ろから二人が追いついてきた。「すみません、こんな先まで行ってはないだろうと思って周りを探していました」とのこと。うーむ、それは余計に走らせてしまったな。これならもっとハッキリと、道路の右手・左手に関係なく、最初に見つけたコンビニに寄りますと言っておけばよかった。知り合い同士ではない野良チームなのだから。
野良チーム。小説「銀輪の覇者」にもたしかそんなチームが出てきた。紙芝居屋の主人公は、賞金レースの最中に力のありそうな素人参加者を集めて即席チームを組み、そしてプロチームも参戦しているそのサイクルレースで大波乱を巻き起こすという痛快な小説だった。ただ、「銀輪の覇者」と僕ら3騎が大きくちがうのは、トレインの先頭がヘボいことと、最後方をひぃひぃ言いながら走っていることだ。
再び僕が先頭となって続行。時間は18時半になろうとしていた。ありがたや、空はまだ明るい。夕暮れどきが遅くて助かる。「おおおぉぉぉおお!日が暮れていくーーーー!」「もう二度目だーー!」こんな些細なことで大はしゃぎ。そろそろまたライトを点灯しておこう。
そのような高揚感は別として、MAP60氏の両脚の負傷が重く、ちょっとした登りであっという間に何十メートルも後方に残されてしまう。そして黒キャノ氏は、MAP60氏をフォローしながら走っている。MAP60氏の遅れ具合は、疲労ではなく明らかにケガ人のスピードだ。この先大丈夫だろうか?まだ時間に余裕があるというのは、たとえ遅くても普通に走ってのこと。今のように平坦路にも関わらず時速20km台序盤というのは、いくら何でもやばくないか?最後のPCであるPC6には、できればまだ空が明るいうちに着いておきたい。このあたりも暗くなってしまったら街灯のないしんどい道に変貌するのだから。やや突出気味に突っかけ、黒キャノ氏、そしてMAP60氏が追いついてくるのを待つ。
19時過ぎ、ようやくPC6に到着した。557km地点。ゴールまで残り約51kmか。ゴールのクローズ時間は23時だから、まだ大丈夫だと思う。ここはおそらく最後の休憩場所。この先はノンストップで走ることになるだろう。3人でコンビニに入るが、それにしても何を食べたらいいのか・・・・もういい加減コンビニには飽きた・・・・って、さっきも思った。けれどしっかり食わねば。ゴール目前でハンガーノックなんて勘弁だ。それは200kmのときにやらかしている。
「最後の晩餐」なのだから、身体に良かろうが悪かろうが食べたい物を食べよう。ゼリーやカップ麺の他に、その脂っこさが食欲をそそる骨なしフライドチキンを買う。千葉400kmでも最後にこいつを食べた。脂っこかろうが何だろうが、栄養補給というよりも「士気」の上がる物を食べるのだ。
黒キャノ氏が痛そうに靴下を脱ぐ。靴下の底にゴム加工の滑り止めが施されており、それが足を圧迫してとても痛いのだという。ぱぱぱぱ、パールイズミ・・・な、なんちゅーことをしてくれんねんっ!?デザインの失敗か、それともこれだけ長い距離を走る方がおかしいのか。靴下のデザインのせいで痛くなるとは、まさに計算外の出来事じゃないか。黒キャノ氏もただ眠いだけではなく、実は隠れて負傷者なのだった。
買った物をモシャモシャと食べながら、3人で、ブルベとは?というような話になった。3人とも600kmは初挑戦。ここまでほとんど寝る暇もなく、ほとんど走ってばかりというのはどうなのかと。もちろん観光などする時間はない。食事はコンビニばっかり。僕は斤量を減らすためと称してデジカメすら持ってきていない。僕が道中携帯電話のカメラで撮った写真は、往路の日光杉並木のただ一枚だけ。自分のツーリングなら500kmも走っていれば100枚ぐらいは撮っていると思う。
僕がブルベ(というか、制限時間内に超長距離を走りきるツーリング・コンペジション)を知ったのは、たしか2001年の夏、就職後初めてのボーナスでランドナーを買った頃だった。宮城の門岡淳さんのツーリング解説サイト「自転車ツーリング再生計画」上でのことだ。ブルベといっても今僕らが走っているフランスのACP(オダックス・クラブ・パリジャン)傘下のイベントはまだ開催されておらず、日本では日本独自ルールの「ルート・エヌ」というイベントが開催されていた。またその後、本場のブルベを意識してルート・エヌの派生系的なイベントも行われていたと思う。
ルート・エヌというのは、ブルベと同じく制限時間内に長距離を走りきるのだが、ブルベと決定的にちがうのは走行時間の制限時間とは別に、一定距離以上を走るごとに宿泊(仮眠ではない)のマージンを十分にもらえるというところだ。当時ユースホステルやテントを使っての宿泊ツーリングにのめり込むようになっていた僕にとってはとても魅力的な認定制度だった。
※もうだいぶ前の話なのでウェブ上にも資料が乏しいけれど、たとえば後で下記のURLを参照されたし。
http://www.bike-joy.com/RouteN=BrevetBornInJapan.htm
http://www.geocities.jp/randonneursmiyagi/your100km/routeN2002.html
日本でのブルベ立ち上げ準備室のようなウェブサイトもときどきチェックしていたし(当時はたしかランドヌール・ジャポンというところが運営していたと思う)、日本でのブルベ実施に向けて掛川や神奈川でプラクティスコースと称して試験的な走行会があったのを覚えている。
結局その後、僕自身は自分なりの宿泊ツーリングにのめり込み、ルート・エヌやブルベに実際に参加することはなかったのだが(ブルベ初参加は2008年の埼玉200km)、自分の中では何と言ってもランドナーに荷物を積んでの宿泊ツーリングが自転車趣味の王様だった。
初めて参加した自転車のイベントである「鈴鹿8耐」では、東京から鈴鹿まで何泊もかけて自走し、荷物を積んだままサーキットの中を周回し、そして東京まで再び自走して帰った。いわば旅行とイベントの融合である(当時は納期さえ守ればいいSOHOだったので、そんなことができた)。
日本でブルベが始まると、ルート・エヌは発展的解消をすることになるのだが、宿泊マージンがしっかり取ってあり、しかもサポートなしの自己完結型のイベントがもしあるならば、今でも、ACP傘下のブルベよりもそちらの方に出てみたいと思う。てめぇ一人のツーリングでもいいが、設定されたコースを緊張感を持って攻略するのもそれはそれで面白い。今回のコースだって、本当なら4泊5日・・・せめて2泊3日ぐらいで走ってみたいコースだ。
観光できない、寝る暇がない、コンビニ以外の食事ができないというのは、結局僕らが遅すぎるからなのだが、でもなんでツーリング派なのにそんなロードバイク的な走りをしなきゃならないのか。よく考えればいろいろとおかしく、腹立たしいことがたくさんある。といっても、何に怒っているのか自分でもよく分からないけれど。まぁ要するに、自転車の楽しみ、ブルベの楽しみは、速く走るという単一価値観的なものではないだろうということだ。
ここPC6では40分ほど休んでしまった。19時50分頃になってようやく出発。僕らが出発しようというときになって、実況中継氏がPC6に駆け込んできた。「もう行かれるんですか?」と実況中継氏。かなり疲れた様子。さすがにこれ以上留まっていたら後が危ない。旅行速度を計算すると、残り約51kmを時速約17kmで進まなければならない。市街地で信号に引っかかることを考えると、そんなに余裕はない。休んでいく実況中継氏を後に残し、出発。
MAP60氏が「今までさんざん引っ張ってもらったのでここからは私が」と言うが、その脚ではムリだろう。引き続き僕がしばらく先頭を走ることにする。しばらくと言いながら、実は最後まで先頭を引くつもりでいたのだが。なぜならこの時点で3人の中では僕がいちばん元気そうだったからだ。たとえ隊列がバラバラになってしまっても、全員GPSを装備しているので完全な迷子になってしまうことはないだろう。
先月の千葉400kmのときに知り合ったライジン氏は、その400kmの途中のPCでこう言った。「あー、去年よりも1時間遅いや。なんでだろ?」僕は答えた。「自分より遅いあの二人のフォローをしてあげたからじゃないですか?」ライジン氏「でもオレも去年、他の人にフォローしてもらったんだよなー」僕「・・・・・」
そのライジン氏はDNFですでにいない。
単騎で克つ!とばかりに、かたくなに他人を寄せ付けない険のある走りをするのはちがうよな。それを学習したのは先月の千葉400kmだった。ここまで鳳坂峠からの下りでは実況中継氏に、山王トンネルまでの登りでは黒キャノ氏に引っ張ってもらったし、その他にも、蛍光ジャージ女史や余裕氏のトレインなどにも助けられたのはまちがいない。お世話になりっぱなしではなく、ちょっとぐらい自分が引っ張る場面があってもいいんじゃないか?
PC6を出て、オオオオオオオッっと、時速30km近くで突っかける。自分にしてはかなり強度の高い走り方だ。しかしすぐに赤信号につかまってしまう。これならユルユル走っているのと変わらない。たしかに周りはすでに完全に市街地。交通量もかなり多い。
次の赤信号を意識しながら、巡航速度を時速23〜4kmに落として、半分抜いて走ることにしよう。信号に引っかかるにもかかわらず突っ込むのはムダ。闇雲に飛ばしても意味がない。それはかつてメッセンジャーだった頃に、研修のわりと早い時期に指摘されたことだ。そうそうそう、焦っても配達時間は変わらなかったよね、たしかに・・・・。途中で追い抜いたソロの男性が僕らのトレインの後に付き、以後は4人編成で進む。
利根川橋を渡ったところで往路と復路がまた分かれる。国道4号を南下するのだが、遮音壁が現れ、まるで高速道路のような幹線道路なのだった!交差点もほとんどなく、片側二車線の広幅員道路。この区間はがんばりどころだな。旅行速度を移動速度に近づけるべく、この区間ではまったく抜かずに走る。でやぁっ、行くぜッ!
完全にケガ人の様相を呈しているMAP60氏には申し訳ないが、ここはがんばって走ってもらうしかない。ダラダラと際限なく垂れていたら、いつまで経ってもゴールには着かない。漫然と走って間に合うほどの余裕はない。「絶対に間に合わせる」「そのためには今がんばらなくてはならん!」という明確な「意思」をしっかり保って走らなければ間に合わない。「意思」のクサビだけは先にゴールに打ち込んでおかなくてはならないのだ。メッセンジャーが「今」を走るだけでなく、引取先や届け先のお客さんを常に意識しながら走るのと同じだ。
たしかにしょせん遊びのブルベでは「早く」ゴールすること自体に意味はない(僕の場合は)。だからといってここまで走ってきてタイムアウトになるのは、それはそれでもったいない。僕も黒キャノ氏もMAP60氏も、600kmを走るのは初めてだし、しかもシューペル・ランドヌールにリーチがかかっている。バックミラーで黒キャノ氏やMAP60氏との距離をときどき確認するが、多少離れても、僕は鬼運転士になってどんどん加速していく。
わずかな時間のあいだに距離が伸び、また余裕が出てきた。PC6を出てから国道4号を下りるところまでで、旅行速度が22km/hくらい。残り33kmで制限時間残り2時間20分。残り距離が短いので、少しでも頑張れば余裕が生まれるし、遅くなればまた余裕がなくなる。これ以降、残り距離と腕時計の時刻を絶えず見比べながら走っていく。
国道4号を激走した後は狭くて暗い市街地へ。交通量はほとんどない。アップダウンもない。ならば突っかけていけるだろうと加速していくと、今度は登りだけではなく平坦路でも黒キャノ氏とMAP60氏が遅れ、あっという間にバックミラーに映る2人の白LEDが遠ざかってしまう。僕はまだまだ脚が余っているが、平坦路でも時速20km以下まで落とす。MAP60氏は相当具合が悪そうだった。疲労ではなくケガというのは、気合いややる気だけでどうこうなるものでもない。ケガはケガなのだ。痛いものは痛いのである。国道4号を下りた後のこの1時間は相当遅れた。残り19kmで制限時間残り1時間半か。
ただ完全に全員一緒に走っていたら、それはそれで全員が垂れ放題垂れてしまい、3人とも全滅しかねない。そもそもあと一撃、何かトラブルがあったら終わりである。黒キャノ氏がMAP60氏に声を掛けながら走っているが、MAP60氏のフォローは黒キャノ氏にまかせ、僕はやや突出気味で先行してクサビを打ち、2人が追いついてくるのを待つというくり返しで進む。といってあんまり引き離して僕の姿が後ろから見えなくなると、それはそれで2人が垂れてしまうことにもなりかねない。だからバックミラーをしょっちゅうチラ見して、腕時計をしょっちゅう確認しながら進むのだった。
サイコンの表示がとうとう600kmを超えた。といってもキューシートよりもサイコンの距離の方が3kmほど長いので、まだ10km以上残っている計算になる。時間は22時前。クローズまであと1時間ちょっとだ。うわぁ、これはギリギリだな・・・。22時と言えば、スタート前の計画で僕がゴールしようと思っていた時間である。ここからラストスパートで後先考えずに突っ込んでいけば30分もかからずゴールできるだろうが、このペースでは10kmの道のりもはるかに遠い。
たとえ残り10kmでも、ポタリングのスピードで走り、信号にことごとく引っかかり、立ち止まって休憩したりしたら、1時間ぐらいカンタンに過ぎてしまう。僕が「楽しむための自転車学」で都心ポタの企画を立てるときは(コースは約20km、参加者はいつも15名くらい)、信号待ち含め、見学・食事時間を除いて旅行速度10km/hで考えている。10kmというのはそういう距離。垂れなければ30分かからないが、油断すれば1時間以上かかる距離だからあなどってはいけない。
どこの街を走っているのかウネウネと走り続け、なぜか終盤、住宅地の中に現れるアップダウンの連発。位置エネルギーを利用すればフロントアウターと立ちこぎで一気に難なく登れるが、MAP60氏がまたまた何十メートル後方まで離れてしまうので減速。ここまで来て落伍者を出すわけにはいかない。といってゆるゆると走り続けるわけではなく、バックミラーを見ながらメリハリを付けてまた加速する。
そしてようやく、懐かしの埼玉協同病院が見えてきた。ここで長い信号待ち。まぁ、これで制限時間には間に合うことはまちがいない。たぶんここからテクテク歩いても間に合うだろう。MAP60氏「いやーギリギリだなぁ〜」・・・ギリギリだろうと何だろうと、制限時間内に着けば皆同じである。「いや、時間いっぱいいっぱいの方が、それだけ長い時間楽しんでいるってことですよ〜!」と僕。これは僕が昨年初めてブルベに参加したときに聞いたセリフをパクったものだ。でも、楽しんでいると言うより苦しんでいる時間が長いだけのような気もする。
2008年1月。埼玉200kmアタック霞ヶ浦のゴールにて。仲間から大きく遅れてゴールした人が、仲間から「お前遅いぢゃねーかよ〜〜」と冷やかされたとき、その人が言ったセリフ。「オレの方が長い時間ブルベ楽しんでいるもんね〜!」「しかもオレさっき300kmも申し込んじゃったもんね!ガハハ!」それを聞いたとき、ホゥ、そういう考えもあるもんなのかと感心したものだ。
最後の信号が青に変わった。千葉400kmのときとちがって、最後のスプリントをすることもなく、淡々とこぎ続け、神根運動場に向かう。もう最高時速や公式記録が意味を持つものでもないだろう。僕を先頭に黒キャノ氏、MAP60氏、そして僕ら3騎の後ろに連結したソロの男性。
感動のゴールではない。MAP60氏のケガは相当ひどそうだったが、僕も右足首がかなり痛い。筋肉痛ではなく、関節系の痛みをもらってしまったのは、たとえ制限時間内にゴールしたとしてもほとんど敗北に近い。感動のゴールというより、安堵のゴールといった方がよいだろう。
「やーーーっと着いたぁ・・・・」
スタッフや、その場に残っていた参加者の方に拍手で迎えられ、ゴール。受付テントでゴールの手続きをする。問題のPC4の記録もあらためて認定してもらった。完走タイムを自分で書き入れ、完走のサインを入れる。ブルベカードを提出し、メダル代の1000円を払って終了。
制限時間内に完走した。タイム的にはそれだけで十分だ。39時間だろうと30時間だろうとそのちがいが何だというのか?別にPBPを目指しているわけでもタイムアタックをしているわけでもない。ただブルベをきっかけに、ありえない距離にチャレンジしたかっただけだ。ブルベをネタに旅行がしたかっただけだ。僕はローディではないし、アスリートでもない。自転車はスポーツと思ってやっているわけではないし、自転車の「練習」という概念もない。自転車旅行歴10年、ロードバイク歴0年のチャリダー(自転車旅行をする人)である。
とにかくこれでもうブルベを止めることができる。自分としては一区切り着いた。ブルベが楽しかったというより、ブルベを止められるということの方が嬉しくてたまらなかった。これでまた、楽しい楽しい宿泊ツーリングの世界に戻れるのだ。
■感動のクローズ時間。そして無事とは言えない大ダメージ。
ゴール後は、豚汁が振る舞われた。豚汁!味噌の塩気が腹に染みこむぜ・・・・。うう、うまい。
豚汁を食べながら、黒キャノ氏とMAP60氏共々、初めてお互い自己紹介。そしてお互いが、一緒に走っていなければゴールできなかったという。それはこちらも同じだ。最後の100kmほどは僕が先頭を走ったけれど、後ろに誰かがいるというその緊張感が、自分を垂れさせないというか、後ろから押し出してもらう効果があるのだった。
何かブログとかありますかという話になる。黒キャノ氏とMAP60氏はmixiのアカウントを持っているらしい。僕もアカウントは持っているけれど、アクティブユーザではない。誰でも閲覧できるブログがメイン。「何で検索すると出てきますか?」「『なんちゃってチャリダー』で出てきますよ」「あ〜〜〜オレそれ知ってる!たしかお気に入りか何かに入れてたかも!」とMAP60氏。ハハっ、面が割れたか。
そしてMAP60氏は、あれだけ大ダメージを受けながらも、終盤に到るまで実はデジカメでしっかり写真や動画を撮ったりしていたそうだ。一体いつのまに!?それを聞いたとき「負けた」と思った。
結局、ブルベを「楽しむ」ためにはある程度速くなくてはならないのではないかという話にもなった。寝る時間がない、観光できない、コンビニしか寄れない・・・・突き詰めていくと、最後には巡航速度をもうちょっと引き上げなくてはならないという結論になる。たとえば僕は平坦無風でも、時速27kmも出ればいい方だし、ずーっと長時間保てるのはもっと落ちて時速25〜6km程度だ。これはブルベ参加者の平均値よりは相当低いはず。
まぁ、もうどうでもいいけどな。
豚汁のおかわりができるらしい。もう一回列に並んでおかわり。豚汁をよそっていたスタッフの女性からは「いや〜途中で見ていたけれど、走っているところを見て絶対大丈夫だと思いましたよー」と言われた。制限時間ギリギリだったんだけど・・・。夜中の巡回カーの中に乗っていたのだろうか?走っている様子を見て分かるものなのだろうか?当人がゴールを意識できたのは、PC5で残り100km台前半になってからなのだが・・・・。
僕らが豚汁を食べている間も、後続の参加者たちがゴールしてくる。まだ後ろにもゴールしていない人たちがいたのか。途中で見かけたCO2削減ジャージを着た男性がゴールしたときはMAP60氏が大喜び。「いや〜鬼怒川ではちょっとやばいんじゃないかなーと思っていましたよ。よかった〜」
あれ?そういえばまだ実況中継氏が帰ってきていない。腕時計を見る。ううっ、あと5分もない。戻ってこれるのか?鳳坂峠の後の下りではずいぶん引いてもらったが・・・。
そして残りあと1、2分というところで、見覚えのあるシルエットがゴールに向かって突っ走ってきた。あれは実況中継氏だ!いそげ〜いそげ〜!スタッフからも「がんばってー!」と声が飛ぶ。ゴールの駐車場に実況中継氏が駆け込んできた。「名前教えて!名前!名前と番号言って!!」・・・スタッフから大音声が飛ぶ。よかった、間に合って。パチパチパチと拍手。
黒キャノ氏が言う。「最後ってこんな感動的な光景があるんですね。知らなかったなぁ〜」たしかにそうだ。僕もこれまでは、クローズ時間を待たずに先に帰っていた。
いつまでも余韻に浸っていたかったけれど、そろそろ撤収しようか。自分の自転車のところに戻る。相変わらず右足首を曲げると激痛が走り、右足を引きずらないと歩けない。自転車には乗れるけれど歩けない、そんな感じだ。
とっくにゴールしていたと思われる余裕氏がやってきて、ケルビムについて訊かれた。「このケルビム、いつ頃のやつですか?」ケルビムの場合は「いつ」というには発注時期と納品時期の両方を言わなくてはならない。「去年の5月に注文して、納車は9月でした」「うーん、やっぱり今それぐらいかかるんだ〜」と余裕氏。ケルビムで、注文に生産が追いつかないのは、結構知れ渡っていることなのか。黒キャノ氏もクロモリを狙っており、アマンダで注文したいのだそうだが、注文が殺到しすぎていて「注文するまでに」1年かかるらしい。ケルビムにせよアマンダにせよ、フルオーダーの自転車って、いわば伝統工芸品みたいなものだからな。
余裕氏からはこうも言われた。「最初はいろいろブゥブゥ文句とか言いながらブルベに出ると思うんですよね」「でもそのうち一箇所だけじゃなくて、ああここのやつ走りに行こう、ここも出なきゃ、それでポチ、ポチ、ポチとエントリーしちゃって・・・ってハマっていくんですよ」ポチ、ポチ、ポチというのはスポーツエントリーからのオンライン受付だな。
うーむ、しかしそうかぁ?また出たくなるのかぁ?僕はもうお腹いっぱいなのだが。「そうですかぁ?ブルベって楽しいのかなぁ?今は苦しいっていうのしかないですけどね。もうブルベはいいかなって思ってます」「いやいやいや、それじゃあオダックス埼玉の忘年会ランもあるし、色々来なきゃ!」
「単身赴任」でブルベにやってきたつもりなので、ずーっと単身赴任が続くというのは考えられない。いつかは「本宅」である宿泊ツーリングに帰るのである。まさかまさかのシューペル・ランドヌールを取得できた今、これ以上ブルベを走るというのは正直しんどい。
けれど余裕氏の「最初はいろいろ文句とか言いながら」というところはとても重要な指摘だ。「最初は」と余裕氏は言った。ということは、余裕氏もまた、今の僕のようにいろいろブツブツ文句を言いながらブルベを走っていたのだと思う。つまり、他の人も通ってきた道なのだろう。
ゴールした人たちも一人また一人といなくなり、スタッフの方々もテントを畳んで撤収にかかっている。黒キャノ氏やMAP60氏とも別れ、僕も宿に戻るとしよう。宿。宿があるからこそ、旅行気分を味わえるのだ。「お先に失礼シマース、ありがとうございましたー」と挨拶して引き揚げる。
宿までの約6kmの道のり。もう急ぐ必要もない。ゆっくりタラタラと走り続ける。途中、蕨駅近くのコンビニ(またコンビニだ)で夕飯を買い、前泊したのと同じ宿に戻る。自転車を停め、チェックイン。フー、つかれた。なぜ日曜日なのに後泊もできるのかというと、僕はサラリーマンではないからだ。MAP60氏は明日月曜日、一日有休を取ったらしいが、僕も自営業の身分を活かして、午前休業としたのだった。お昼前に戻れば、業務の大勢に影響はない。
それにしても右足首がますます痛い。ゴールの安堵感で痛みを忘れていたけれど、自転車を下りてみるとメチャクチャ痛い。宿の自室に入り、靴下を脱いで、サイクルタイツ横の足首のチャックを上げて足首をチェック。
おおおおおっ、なんということだ、すさまじく腫れ上がっているではないか!左右でスネの下部の太さが全然ちがう。その太さのちがいを見て仰天してしまった。しかも右足首を前後に底屈・背屈させると、スネの下部からキコキコと音が鳴る。これは明らかに使いすぎ症候群か何かだろう。ちくしょう、たかが遊びでこんなダメージを・・・・。
とりあえず夕飯を食べよう。ノロノロと食事をした後は、お風呂。といっても関節に負担がかかっている状態で温めるのはよくない。身体を洗った後は、湯船に水を浅めに張って、膝立ちで浸かる。足首と太ももを水で冷やすのだ。襲ってくる眠気に耐えながら、10分以上そのままの姿勢。
ちょっと疲れているとか、こっているという程度なら、むしろゆっくり温めてほぐすのがいいのだが、疲労を通り越して傷めて炎症になってしまった急性期には、温めると血行が促進されて余計に炎症がひどくなるので、しっかり冷やす方がいい。ときどき通っている鍼灸・接骨院でそのように言われていた。今回も終わったらバタンキューではなくて、ちゃんとすぐにケアするようにアドバイスをもらっていた。今回の僕の足首もこれは明らかに炎症だろう。
このケガを見て、ゲンナリとしらけた。日常生活に影響が出るほどのケガじゃないか。片足引きずらないと歩けないだなんて・・・・。
たかが遊びで怪我をして完走した結果を誇っていいのか?飲み過ぎて道端でゲロって、それで「飲み過ぎ自慢」をしている学生と何がちがうのか?何のためにスポルティーフに「持続可能」という名前を付け、ネーム入れしてもらったのか?(ちなみに先代のランドナーの名前は「念ずれば通ず」号)
こんなことではシューペル・ランドヌールの価値も六掛けぐらいになっちゃうんじゃないか?PC4をまちがえたことよりも、足首を傷めたことの方がはるかに大問題だ。これではとても「無事に」戻ってきたなどとは言えない。
翌朝、笹目橋や環八経由で自走して帰る。平日・午前中の環八。そりゃもうトラックなどの業務車両がビュンビュン走りまくっているしんどい道路だ。そんな中ジワジワと南下するのはこれまた試練。最後の試練を終え、金曜夜の前泊から数えて「2泊4日」の長い長い旅行が、ようやく終わった。
(つづく)
■落伍者を出すわけにはいかない!鈍足トレインが夜の街を駆けていく。
僕と黒キャノ氏、MAP60氏の3騎のトレインで鹿沼、壬生、都賀と、市街地を通り抜けていく。うーむ、僕はポタリング以外で集団で快速走行したことがほとんどないのだが、どうやって先頭でペースを作ればいいのだろうか?まぁブルベにはそれぞれ単騎で参加しているんだし、自分なりのペースで走っていけばいいか。抜きたければ抜いてくれ、追いつけないなら千切れてもらって構わない。とりあえず簡単な手信号だけは出そう。最初はそんなことを考えていた。
途中、オダックスのジャージを着たヒゲの男性が停まっている前を通り過ぎた。ヒゲの男性は復帰した後、モリモリと追いついて来て、僕ら3騎を追い抜いていった。トレインの先頭を走る僕は、そのヒゲ氏を追走する。時速25〜6kmというところか。なかなかいいペース。もう平坦地に入っているし、十分持続的について行けそうな感じだ。こちらもスピードを上げていく。
ん?バックミラーを見ると、黒キャノ氏とその後ろを走るMAP60氏がついてきていない。スピードを緩め、ヒゲ氏と黒キャノ氏の中間にポジション取りをし、後続の二人が追いついてくるのを待つ・・・・が、前を走るヒゲ氏の姿はどんどん遠ざかり、やがて見えなくなってしまった。
自分一人なら後を追ってついて行けそうだが、ここまでさんざん黒キャノ氏や実況中継氏に引いてもらったくせに、ここで自分だけ飛び出すっていうのは・・・「いや、それはありえないよな」
時間にはまだ余裕がある。
そもそも僕はPBPを目指しているわけではないし、「早くゴールする」ことにはまったく価値を見出していないのだ。だからブルベのレポートを書くときも、何時間何分でゴールしましたというリザルトもしくは自慢(自慢にならないタイムだけど)は一切書かない。何時間何分でゴールしましたというのは、道中何回オナラをしましたというのと同じくらい、自分には意味のない情報だから。
要は間に合うか間に合わないか、旅行の一環でブルベを走っている者にとっては、タイムに関して言えばその2つしかないのだ。だからブルベのリザルト発表で何時間何分というのが発表されず、「制限時間内完走」「DNF」の2種類の形でしか計測・表示されなかったとしてもいっこうに構わない。要所要所で想定タイムを考えていたのは、最終的に間に合わせるというただその一点だけのためである。
それに、ここで2人を置き去りにして自分だけ飛び出してさっさとゴールしたとしても、とても後悔することになるような気がした。後悔してまでより早いリザルトを残したいか?答えは否、だ。
何に参加の意義を見出すか、それが各人にゆだねられているのもブルベのいいところ。残り距離は100kmを大きく切っている。ジタバタすることもない。
ところが走っている途中で、猛烈な尿意と便意に襲われ、別な意味でジタバタすることになった。なのにこういうときに限ってコンビニやトイレが見当たらないのである。二人にもトイレに行きたい旨を告げ、道路の両側の建物に目を走らせながら市街地を進んでいく。しかし市街地の中心部は、銀行やら何やらで、かえってコンビニや公衆トイレがなかったりする。ありがちなパターンだよな。尿意はともかくこの便意はやばいぞ。何というか、相当「ゆるそうな」感じ。ここまでの道中、カリウム補給のために野菜ジュースをガブ飲みしてきたのだが・・・・。
居ても立ってもいられず、一人で猛スピードで突出することにした。ルート沿いに先行していることを二人に告げ、沿道の建物をチェックしながら駆けていく。うう、コンビニはないか、コンビニは・・・。栃木市の市街地中心部を通り抜け、ようやくファミリーマートを発見してピットイン。・・・・・はぁ〜スッキリした。
身も心も軽くなった後、黒キャノ氏とMAP60氏を待つ。3分経過。まだ追いついて来ない。僕がトイレに行っている時間を考えたら、じき追いついてきてもよさそうなものだが・・・。もしかしてこのコンビニを通り過ぎて、先に行ってしまったのだろうか?だんだん不安になる。5分経過。ようやく後ろから二人が追いついてきた。「すみません、こんな先まで行ってはないだろうと思って周りを探していました」とのこと。うーむ、それは余計に走らせてしまったな。これならもっとハッキリと、道路の右手・左手に関係なく、最初に見つけたコンビニに寄りますと言っておけばよかった。知り合い同士ではない野良チームなのだから。
野良チーム。小説「銀輪の覇者」にもたしかそんなチームが出てきた。紙芝居屋の主人公は、賞金レースの最中に力のありそうな素人参加者を集めて即席チームを組み、そしてプロチームも参戦しているそのサイクルレースで大波乱を巻き起こすという痛快な小説だった。ただ、「銀輪の覇者」と僕ら3騎が大きくちがうのは、トレインの先頭がヘボいことと、最後方をひぃひぃ言いながら走っていることだ。
再び僕が先頭となって続行。時間は18時半になろうとしていた。ありがたや、空はまだ明るい。夕暮れどきが遅くて助かる。「おおおぉぉぉおお!日が暮れていくーーーー!」「もう二度目だーー!」こんな些細なことで大はしゃぎ。そろそろまたライトを点灯しておこう。
そのような高揚感は別として、MAP60氏の両脚の負傷が重く、ちょっとした登りであっという間に何十メートルも後方に残されてしまう。そして黒キャノ氏は、MAP60氏をフォローしながら走っている。MAP60氏の遅れ具合は、疲労ではなく明らかにケガ人のスピードだ。この先大丈夫だろうか?まだ時間に余裕があるというのは、たとえ遅くても普通に走ってのこと。今のように平坦路にも関わらず時速20km台序盤というのは、いくら何でもやばくないか?最後のPCであるPC6には、できればまだ空が明るいうちに着いておきたい。このあたりも暗くなってしまったら街灯のないしんどい道に変貌するのだから。やや突出気味に突っかけ、黒キャノ氏、そしてMAP60氏が追いついてくるのを待つ。
19時過ぎ、ようやくPC6に到着した。557km地点。ゴールまで残り約51kmか。ゴールのクローズ時間は23時だから、まだ大丈夫だと思う。ここはおそらく最後の休憩場所。この先はノンストップで走ることになるだろう。3人でコンビニに入るが、それにしても何を食べたらいいのか・・・・もういい加減コンビニには飽きた・・・・って、さっきも思った。けれどしっかり食わねば。ゴール目前でハンガーノックなんて勘弁だ。それは200kmのときにやらかしている。
「最後の晩餐」なのだから、身体に良かろうが悪かろうが食べたい物を食べよう。ゼリーやカップ麺の他に、その脂っこさが食欲をそそる骨なしフライドチキンを買う。千葉400kmでも最後にこいつを食べた。脂っこかろうが何だろうが、栄養補給というよりも「士気」の上がる物を食べるのだ。
黒キャノ氏が痛そうに靴下を脱ぐ。靴下の底にゴム加工の滑り止めが施されており、それが足を圧迫してとても痛いのだという。ぱぱぱぱ、パールイズミ・・・な、なんちゅーことをしてくれんねんっ!?デザインの失敗か、それともこれだけ長い距離を走る方がおかしいのか。靴下のデザインのせいで痛くなるとは、まさに計算外の出来事じゃないか。黒キャノ氏もただ眠いだけではなく、実は隠れて負傷者なのだった。
買った物をモシャモシャと食べながら、3人で、ブルベとは?というような話になった。3人とも600kmは初挑戦。ここまでほとんど寝る暇もなく、ほとんど走ってばかりというのはどうなのかと。もちろん観光などする時間はない。食事はコンビニばっかり。僕は斤量を減らすためと称してデジカメすら持ってきていない。僕が道中携帯電話のカメラで撮った写真は、往路の日光杉並木のただ一枚だけ。自分のツーリングなら500kmも走っていれば100枚ぐらいは撮っていると思う。
僕がブルベ(というか、制限時間内に超長距離を走りきるツーリング・コンペジション)を知ったのは、たしか2001年の夏、就職後初めてのボーナスでランドナーを買った頃だった。宮城の門岡淳さんのツーリング解説サイト「自転車ツーリング再生計画」上でのことだ。ブルベといっても今僕らが走っているフランスのACP(オダックス・クラブ・パリジャン)傘下のイベントはまだ開催されておらず、日本では日本独自ルールの「ルート・エヌ」というイベントが開催されていた。またその後、本場のブルベを意識してルート・エヌの派生系的なイベントも行われていたと思う。
ルート・エヌというのは、ブルベと同じく制限時間内に長距離を走りきるのだが、ブルベと決定的にちがうのは走行時間の制限時間とは別に、一定距離以上を走るごとに宿泊(仮眠ではない)のマージンを十分にもらえるというところだ。当時ユースホステルやテントを使っての宿泊ツーリングにのめり込むようになっていた僕にとってはとても魅力的な認定制度だった。
※もうだいぶ前の話なのでウェブ上にも資料が乏しいけれど、たとえば後で下記のURLを参照されたし。
http://www.bike-joy.com/RouteN=BrevetBornInJapan.htm
http://www.geocities.jp/randonneursmiyagi/your100km/routeN2002.html
日本でのブルベ立ち上げ準備室のようなウェブサイトもときどきチェックしていたし(当時はたしかランドヌール・ジャポンというところが運営していたと思う)、日本でのブルベ実施に向けて掛川や神奈川でプラクティスコースと称して試験的な走行会があったのを覚えている。
結局その後、僕自身は自分なりの宿泊ツーリングにのめり込み、ルート・エヌやブルベに実際に参加することはなかったのだが(ブルベ初参加は2008年の埼玉200km)、自分の中では何と言ってもランドナーに荷物を積んでの宿泊ツーリングが自転車趣味の王様だった。
初めて参加した自転車のイベントである「鈴鹿8耐」では、東京から鈴鹿まで何泊もかけて自走し、荷物を積んだままサーキットの中を周回し、そして東京まで再び自走して帰った。いわば旅行とイベントの融合である(当時は納期さえ守ればいいSOHOだったので、そんなことができた)。
日本でブルベが始まると、ルート・エヌは発展的解消をすることになるのだが、宿泊マージンがしっかり取ってあり、しかもサポートなしの自己完結型のイベントがもしあるならば、今でも、ACP傘下のブルベよりもそちらの方に出てみたいと思う。てめぇ一人のツーリングでもいいが、設定されたコースを緊張感を持って攻略するのもそれはそれで面白い。今回のコースだって、本当なら4泊5日・・・せめて2泊3日ぐらいで走ってみたいコースだ。
観光できない、寝る暇がない、コンビニ以外の食事ができないというのは、結局僕らが遅すぎるからなのだが、でもなんでツーリング派なのにそんなロードバイク的な走りをしなきゃならないのか。よく考えればいろいろとおかしく、腹立たしいことがたくさんある。といっても、何に怒っているのか自分でもよく分からないけれど。まぁ要するに、自転車の楽しみ、ブルベの楽しみは、速く走るという単一価値観的なものではないだろうということだ。
ここPC6では40分ほど休んでしまった。19時50分頃になってようやく出発。僕らが出発しようというときになって、実況中継氏がPC6に駆け込んできた。「もう行かれるんですか?」と実況中継氏。かなり疲れた様子。さすがにこれ以上留まっていたら後が危ない。旅行速度を計算すると、残り約51kmを時速約17kmで進まなければならない。市街地で信号に引っかかることを考えると、そんなに余裕はない。休んでいく実況中継氏を後に残し、出発。
MAP60氏が「今までさんざん引っ張ってもらったのでここからは私が」と言うが、その脚ではムリだろう。引き続き僕がしばらく先頭を走ることにする。しばらくと言いながら、実は最後まで先頭を引くつもりでいたのだが。なぜならこの時点で3人の中では僕がいちばん元気そうだったからだ。たとえ隊列がバラバラになってしまっても、全員GPSを装備しているので完全な迷子になってしまうことはないだろう。
先月の千葉400kmのときに知り合ったライジン氏は、その400kmの途中のPCでこう言った。「あー、去年よりも1時間遅いや。なんでだろ?」僕は答えた。「自分より遅いあの二人のフォローをしてあげたからじゃないですか?」ライジン氏「でもオレも去年、他の人にフォローしてもらったんだよなー」僕「・・・・・」
そのライジン氏はDNFですでにいない。
単騎で克つ!とばかりに、かたくなに他人を寄せ付けない険のある走りをするのはちがうよな。それを学習したのは先月の千葉400kmだった。ここまで鳳坂峠からの下りでは実況中継氏に、山王トンネルまでの登りでは黒キャノ氏に引っ張ってもらったし、その他にも、蛍光ジャージ女史や余裕氏のトレインなどにも助けられたのはまちがいない。お世話になりっぱなしではなく、ちょっとぐらい自分が引っ張る場面があってもいいんじゃないか?
PC6を出て、オオオオオオオッっと、時速30km近くで突っかける。自分にしてはかなり強度の高い走り方だ。しかしすぐに赤信号につかまってしまう。これならユルユル走っているのと変わらない。たしかに周りはすでに完全に市街地。交通量もかなり多い。
次の赤信号を意識しながら、巡航速度を時速23〜4kmに落として、半分抜いて走ることにしよう。信号に引っかかるにもかかわらず突っ込むのはムダ。闇雲に飛ばしても意味がない。それはかつてメッセンジャーだった頃に、研修のわりと早い時期に指摘されたことだ。そうそうそう、焦っても配達時間は変わらなかったよね、たしかに・・・・。途中で追い抜いたソロの男性が僕らのトレインの後に付き、以後は4人編成で進む。
利根川橋を渡ったところで往路と復路がまた分かれる。国道4号を南下するのだが、遮音壁が現れ、まるで高速道路のような幹線道路なのだった!交差点もほとんどなく、片側二車線の広幅員道路。この区間はがんばりどころだな。旅行速度を移動速度に近づけるべく、この区間ではまったく抜かずに走る。でやぁっ、行くぜッ!
完全にケガ人の様相を呈しているMAP60氏には申し訳ないが、ここはがんばって走ってもらうしかない。ダラダラと際限なく垂れていたら、いつまで経ってもゴールには着かない。漫然と走って間に合うほどの余裕はない。「絶対に間に合わせる」「そのためには今がんばらなくてはならん!」という明確な「意思」をしっかり保って走らなければ間に合わない。「意思」のクサビだけは先にゴールに打ち込んでおかなくてはならないのだ。メッセンジャーが「今」を走るだけでなく、引取先や届け先のお客さんを常に意識しながら走るのと同じだ。
たしかにしょせん遊びのブルベでは「早く」ゴールすること自体に意味はない(僕の場合は)。だからといってここまで走ってきてタイムアウトになるのは、それはそれでもったいない。僕も黒キャノ氏もMAP60氏も、600kmを走るのは初めてだし、しかもシューペル・ランドヌールにリーチがかかっている。バックミラーで黒キャノ氏やMAP60氏との距離をときどき確認するが、多少離れても、僕は鬼運転士になってどんどん加速していく。
わずかな時間のあいだに距離が伸び、また余裕が出てきた。PC6を出てから国道4号を下りるところまでで、旅行速度が22km/hくらい。残り33kmで制限時間残り2時間20分。残り距離が短いので、少しでも頑張れば余裕が生まれるし、遅くなればまた余裕がなくなる。これ以降、残り距離と腕時計の時刻を絶えず見比べながら走っていく。
国道4号を激走した後は狭くて暗い市街地へ。交通量はほとんどない。アップダウンもない。ならば突っかけていけるだろうと加速していくと、今度は登りだけではなく平坦路でも黒キャノ氏とMAP60氏が遅れ、あっという間にバックミラーに映る2人の白LEDが遠ざかってしまう。僕はまだまだ脚が余っているが、平坦路でも時速20km以下まで落とす。MAP60氏は相当具合が悪そうだった。疲労ではなくケガというのは、気合いややる気だけでどうこうなるものでもない。ケガはケガなのだ。痛いものは痛いのである。国道4号を下りた後のこの1時間は相当遅れた。残り19kmで制限時間残り1時間半か。
ただ完全に全員一緒に走っていたら、それはそれで全員が垂れ放題垂れてしまい、3人とも全滅しかねない。そもそもあと一撃、何かトラブルがあったら終わりである。黒キャノ氏がMAP60氏に声を掛けながら走っているが、MAP60氏のフォローは黒キャノ氏にまかせ、僕はやや突出気味で先行してクサビを打ち、2人が追いついてくるのを待つというくり返しで進む。といってあんまり引き離して僕の姿が後ろから見えなくなると、それはそれで2人が垂れてしまうことにもなりかねない。だからバックミラーをしょっちゅうチラ見して、腕時計をしょっちゅう確認しながら進むのだった。
サイコンの表示がとうとう600kmを超えた。といってもキューシートよりもサイコンの距離の方が3kmほど長いので、まだ10km以上残っている計算になる。時間は22時前。クローズまであと1時間ちょっとだ。うわぁ、これはギリギリだな・・・。22時と言えば、スタート前の計画で僕がゴールしようと思っていた時間である。ここからラストスパートで後先考えずに突っ込んでいけば30分もかからずゴールできるだろうが、このペースでは10kmの道のりもはるかに遠い。
たとえ残り10kmでも、ポタリングのスピードで走り、信号にことごとく引っかかり、立ち止まって休憩したりしたら、1時間ぐらいカンタンに過ぎてしまう。僕が「楽しむための自転車学」で都心ポタの企画を立てるときは(コースは約20km、参加者はいつも15名くらい)、信号待ち含め、見学・食事時間を除いて旅行速度10km/hで考えている。10kmというのはそういう距離。垂れなければ30分かからないが、油断すれば1時間以上かかる距離だからあなどってはいけない。
どこの街を走っているのかウネウネと走り続け、なぜか終盤、住宅地の中に現れるアップダウンの連発。位置エネルギーを利用すればフロントアウターと立ちこぎで一気に難なく登れるが、MAP60氏がまたまた何十メートル後方まで離れてしまうので減速。ここまで来て落伍者を出すわけにはいかない。といってゆるゆると走り続けるわけではなく、バックミラーを見ながらメリハリを付けてまた加速する。
そしてようやく、懐かしの埼玉協同病院が見えてきた。ここで長い信号待ち。まぁ、これで制限時間には間に合うことはまちがいない。たぶんここからテクテク歩いても間に合うだろう。MAP60氏「いやーギリギリだなぁ〜」・・・ギリギリだろうと何だろうと、制限時間内に着けば皆同じである。「いや、時間いっぱいいっぱいの方が、それだけ長い時間楽しんでいるってことですよ〜!」と僕。これは僕が昨年初めてブルベに参加したときに聞いたセリフをパクったものだ。でも、楽しんでいると言うより苦しんでいる時間が長いだけのような気もする。
2008年1月。埼玉200kmアタック霞ヶ浦のゴールにて。仲間から大きく遅れてゴールした人が、仲間から「お前遅いぢゃねーかよ〜〜」と冷やかされたとき、その人が言ったセリフ。「オレの方が長い時間ブルベ楽しんでいるもんね〜!」「しかもオレさっき300kmも申し込んじゃったもんね!ガハハ!」それを聞いたとき、ホゥ、そういう考えもあるもんなのかと感心したものだ。
最後の信号が青に変わった。千葉400kmのときとちがって、最後のスプリントをすることもなく、淡々とこぎ続け、神根運動場に向かう。もう最高時速や公式記録が意味を持つものでもないだろう。僕を先頭に黒キャノ氏、MAP60氏、そして僕ら3騎の後ろに連結したソロの男性。
感動のゴールではない。MAP60氏のケガは相当ひどそうだったが、僕も右足首がかなり痛い。筋肉痛ではなく、関節系の痛みをもらってしまったのは、たとえ制限時間内にゴールしたとしてもほとんど敗北に近い。感動のゴールというより、安堵のゴールといった方がよいだろう。
「やーーーっと着いたぁ・・・・」
スタッフや、その場に残っていた参加者の方に拍手で迎えられ、ゴール。受付テントでゴールの手続きをする。問題のPC4の記録もあらためて認定してもらった。完走タイムを自分で書き入れ、完走のサインを入れる。ブルベカードを提出し、メダル代の1000円を払って終了。
制限時間内に完走した。タイム的にはそれだけで十分だ。39時間だろうと30時間だろうとそのちがいが何だというのか?別にPBPを目指しているわけでもタイムアタックをしているわけでもない。ただブルベをきっかけに、ありえない距離にチャレンジしたかっただけだ。ブルベをネタに旅行がしたかっただけだ。僕はローディではないし、アスリートでもない。自転車はスポーツと思ってやっているわけではないし、自転車の「練習」という概念もない。自転車旅行歴10年、ロードバイク歴0年のチャリダー(自転車旅行をする人)である。
とにかくこれでもうブルベを止めることができる。自分としては一区切り着いた。ブルベが楽しかったというより、ブルベを止められるということの方が嬉しくてたまらなかった。これでまた、楽しい楽しい宿泊ツーリングの世界に戻れるのだ。
■感動のクローズ時間。そして無事とは言えない大ダメージ。
ゴール後は、豚汁が振る舞われた。豚汁!味噌の塩気が腹に染みこむぜ・・・・。うう、うまい。
豚汁を食べながら、黒キャノ氏とMAP60氏共々、初めてお互い自己紹介。そしてお互いが、一緒に走っていなければゴールできなかったという。それはこちらも同じだ。最後の100kmほどは僕が先頭を走ったけれど、後ろに誰かがいるというその緊張感が、自分を垂れさせないというか、後ろから押し出してもらう効果があるのだった。
何かブログとかありますかという話になる。黒キャノ氏とMAP60氏はmixiのアカウントを持っているらしい。僕もアカウントは持っているけれど、アクティブユーザではない。誰でも閲覧できるブログがメイン。「何で検索すると出てきますか?」「『なんちゃってチャリダー』で出てきますよ」「あ〜〜〜オレそれ知ってる!たしかお気に入りか何かに入れてたかも!」とMAP60氏。ハハっ、面が割れたか。
そしてMAP60氏は、あれだけ大ダメージを受けながらも、終盤に到るまで実はデジカメでしっかり写真や動画を撮ったりしていたそうだ。一体いつのまに!?それを聞いたとき「負けた」と思った。
結局、ブルベを「楽しむ」ためにはある程度速くなくてはならないのではないかという話にもなった。寝る時間がない、観光できない、コンビニしか寄れない・・・・突き詰めていくと、最後には巡航速度をもうちょっと引き上げなくてはならないという結論になる。たとえば僕は平坦無風でも、時速27kmも出ればいい方だし、ずーっと長時間保てるのはもっと落ちて時速25〜6km程度だ。これはブルベ参加者の平均値よりは相当低いはず。
まぁ、もうどうでもいいけどな。
豚汁のおかわりができるらしい。もう一回列に並んでおかわり。豚汁をよそっていたスタッフの女性からは「いや〜途中で見ていたけれど、走っているところを見て絶対大丈夫だと思いましたよー」と言われた。制限時間ギリギリだったんだけど・・・。夜中の巡回カーの中に乗っていたのだろうか?走っている様子を見て分かるものなのだろうか?当人がゴールを意識できたのは、PC5で残り100km台前半になってからなのだが・・・・。
僕らが豚汁を食べている間も、後続の参加者たちがゴールしてくる。まだ後ろにもゴールしていない人たちがいたのか。途中で見かけたCO2削減ジャージを着た男性がゴールしたときはMAP60氏が大喜び。「いや〜鬼怒川ではちょっとやばいんじゃないかなーと思っていましたよ。よかった〜」
あれ?そういえばまだ実況中継氏が帰ってきていない。腕時計を見る。ううっ、あと5分もない。戻ってこれるのか?鳳坂峠の後の下りではずいぶん引いてもらったが・・・。
そして残りあと1、2分というところで、見覚えのあるシルエットがゴールに向かって突っ走ってきた。あれは実況中継氏だ!いそげ〜いそげ〜!スタッフからも「がんばってー!」と声が飛ぶ。ゴールの駐車場に実況中継氏が駆け込んできた。「名前教えて!名前!名前と番号言って!!」・・・スタッフから大音声が飛ぶ。よかった、間に合って。パチパチパチと拍手。
黒キャノ氏が言う。「最後ってこんな感動的な光景があるんですね。知らなかったなぁ〜」たしかにそうだ。僕もこれまでは、クローズ時間を待たずに先に帰っていた。
いつまでも余韻に浸っていたかったけれど、そろそろ撤収しようか。自分の自転車のところに戻る。相変わらず右足首を曲げると激痛が走り、右足を引きずらないと歩けない。自転車には乗れるけれど歩けない、そんな感じだ。
とっくにゴールしていたと思われる余裕氏がやってきて、ケルビムについて訊かれた。「このケルビム、いつ頃のやつですか?」ケルビムの場合は「いつ」というには発注時期と納品時期の両方を言わなくてはならない。「去年の5月に注文して、納車は9月でした」「うーん、やっぱり今それぐらいかかるんだ〜」と余裕氏。ケルビムで、注文に生産が追いつかないのは、結構知れ渡っていることなのか。黒キャノ氏もクロモリを狙っており、アマンダで注文したいのだそうだが、注文が殺到しすぎていて「注文するまでに」1年かかるらしい。ケルビムにせよアマンダにせよ、フルオーダーの自転車って、いわば伝統工芸品みたいなものだからな。
余裕氏からはこうも言われた。「最初はいろいろブゥブゥ文句とか言いながらブルベに出ると思うんですよね」「でもそのうち一箇所だけじゃなくて、ああここのやつ走りに行こう、ここも出なきゃ、それでポチ、ポチ、ポチとエントリーしちゃって・・・ってハマっていくんですよ」ポチ、ポチ、ポチというのはスポーツエントリーからのオンライン受付だな。
うーむ、しかしそうかぁ?また出たくなるのかぁ?僕はもうお腹いっぱいなのだが。「そうですかぁ?ブルベって楽しいのかなぁ?今は苦しいっていうのしかないですけどね。もうブルベはいいかなって思ってます」「いやいやいや、それじゃあオダックス埼玉の忘年会ランもあるし、色々来なきゃ!」
「単身赴任」でブルベにやってきたつもりなので、ずーっと単身赴任が続くというのは考えられない。いつかは「本宅」である宿泊ツーリングに帰るのである。まさかまさかのシューペル・ランドヌールを取得できた今、これ以上ブルベを走るというのは正直しんどい。
けれど余裕氏の「最初はいろいろ文句とか言いながら」というところはとても重要な指摘だ。「最初は」と余裕氏は言った。ということは、余裕氏もまた、今の僕のようにいろいろブツブツ文句を言いながらブルベを走っていたのだと思う。つまり、他の人も通ってきた道なのだろう。
ゴールした人たちも一人また一人といなくなり、スタッフの方々もテントを畳んで撤収にかかっている。黒キャノ氏やMAP60氏とも別れ、僕も宿に戻るとしよう。宿。宿があるからこそ、旅行気分を味わえるのだ。「お先に失礼シマース、ありがとうございましたー」と挨拶して引き揚げる。
宿までの約6kmの道のり。もう急ぐ必要もない。ゆっくりタラタラと走り続ける。途中、蕨駅近くのコンビニ(またコンビニだ)で夕飯を買い、前泊したのと同じ宿に戻る。自転車を停め、チェックイン。フー、つかれた。なぜ日曜日なのに後泊もできるのかというと、僕はサラリーマンではないからだ。MAP60氏は明日月曜日、一日有休を取ったらしいが、僕も自営業の身分を活かして、午前休業としたのだった。お昼前に戻れば、業務の大勢に影響はない。
それにしても右足首がますます痛い。ゴールの安堵感で痛みを忘れていたけれど、自転車を下りてみるとメチャクチャ痛い。宿の自室に入り、靴下を脱いで、サイクルタイツ横の足首のチャックを上げて足首をチェック。
おおおおおっ、なんということだ、すさまじく腫れ上がっているではないか!左右でスネの下部の太さが全然ちがう。その太さのちがいを見て仰天してしまった。しかも右足首を前後に底屈・背屈させると、スネの下部からキコキコと音が鳴る。これは明らかに使いすぎ症候群か何かだろう。ちくしょう、たかが遊びでこんなダメージを・・・・。
とりあえず夕飯を食べよう。ノロノロと食事をした後は、お風呂。といっても関節に負担がかかっている状態で温めるのはよくない。身体を洗った後は、湯船に水を浅めに張って、膝立ちで浸かる。足首と太ももを水で冷やすのだ。襲ってくる眠気に耐えながら、10分以上そのままの姿勢。
ちょっと疲れているとか、こっているという程度なら、むしろゆっくり温めてほぐすのがいいのだが、疲労を通り越して傷めて炎症になってしまった急性期には、温めると血行が促進されて余計に炎症がひどくなるので、しっかり冷やす方がいい。ときどき通っている鍼灸・接骨院でそのように言われていた。今回も終わったらバタンキューではなくて、ちゃんとすぐにケアするようにアドバイスをもらっていた。今回の僕の足首もこれは明らかに炎症だろう。
このケガを見て、ゲンナリとしらけた。日常生活に影響が出るほどのケガじゃないか。片足引きずらないと歩けないだなんて・・・・。
たかが遊びで怪我をして完走した結果を誇っていいのか?飲み過ぎて道端でゲロって、それで「飲み過ぎ自慢」をしている学生と何がちがうのか?何のためにスポルティーフに「持続可能」という名前を付け、ネーム入れしてもらったのか?(ちなみに先代のランドナーの名前は「念ずれば通ず」号)
こんなことではシューペル・ランドヌールの価値も六掛けぐらいになっちゃうんじゃないか?PC4をまちがえたことよりも、足首を傷めたことの方がはるかに大問題だ。これではとても「無事に」戻ってきたなどとは言えない。
翌朝、笹目橋や環八経由で自走して帰る。平日・午前中の環八。そりゃもうトラックなどの業務車両がビュンビュン走りまくっているしんどい道路だ。そんな中ジワジワと南下するのはこれまた試練。最後の試練を終え、金曜夜の前泊から数えて「2泊4日」の長い長い旅行が、ようやく終わった。
(つづく)
(つづき)
■またしても降り続ける雨、真夜中の猪苗代湖を越え、そして夜が明けた。
PC3を出ると、じきに藤トンネルの登りに出くわす。決して急なヒルクライムではないが、すぐにインナーに落とし、これ以上脚が削られないようにする。藤トンネルを下るところで、会津若松の市街地だろうか?町の灯りが眼下に広がっているのが見えた。ダウンヒルが終わればしばらくは平坦基調の道が続くはずだ。
千葉400kmのときは、真夜中のこの時間帯に大きく遅れたのだった。だから今回は、深夜から明け方にかけてのこの時間帯をいかに垂れずに乗り切れるかがポイントだと思っていた。当初のもくろみは外れて完全単騎になってしまったが、とにかく停まらず走り続け、旅行速度の落下を防ぐのが肝心だ。
それにしても暗闇の中、一人で走っていると、頭の中で「あのときパンクさえしていなければ今頃はもっと!!」というネガティブな考えがすぐに復活してきてしまう。ちくしょー、今頃はもっと先を走っていてもっと余裕で・・・と。いやそんなことを今言ってもどうにもならん。ネガティブな考えをブンブンと振り払うべく、一人で「銀河鉄道999」の主題歌(ゴダイゴではなくささきいさおの方)を声に出して歌うのだった。
細かいアップダウンはあるが、幸い難所らしきものはない。うむ、なかなかいいペースで走れているぞ。
ところが、なんと早くもこの時間帯に眠気が来てしまった。ある交差点で信号待ちをしているときに、フアッとあくびが出てしまった。えっ、眠くなるのは明け方ではないのか!?まだ夜中の1時ぐらいじゃないか。千葉の400kmでも、眠気に襲われたのは朝6時以降だったはず。ここでキシリトールのブラックガムを取り出し、いっぺんに2個、口に入れる。ミントが強烈に効きすぎるくらいに効き、とりあえず目が覚めた。でもここで2個はもったいないか?
ガムをかみながら考える。そういえば千葉400kmのときは正午スタートで、スタート当日は前泊の宿で朝10時過ぎまで寝ていた。今日は朝5時起床だもんな。眠気がこの時間帯に来てもおかしくはないよな。けれどこの時間帯に眠ければ、仮眠ポイントに着く時間(朝5時くらい?)には、眠くて眠くて仕方なくて、すぐに深い眠りに落ちることができるんじゃないか?
平坦な区間を終えると、今度は猪苗代湖に向けての登りが始まる。標高200mから530mまで、急なヒルクライムではないものの、緩やかな登りがダラダラと続く。途中で二人組に追い抜かれた。遠ざかっていく二人組の赤LED。
そしてこの登りの最中、またしても雨が降り始めるのだった。それほど降りはひどくないのでしばらくそのまま進む・・・が、雨の降りは弱いながらもしかしポツポツ程度ではなく、確実に降っている。またかよ、また雨かよーーーー!次の軒下を見つけたらまたレインウェアを着ようと思うが、沿道は歩道しかない。
スピードを上げて急いで屋根のあるところを探し求めるが、なかなかたどりつかない。そうしているうちにだんだん雨の降りが強くなってきた。そしてようやく猪苗代湖に出ようかというところで、バス停の待合室を発見。その中に自転車を入れる。ちくしょう、また雨かよ、ちくしょーーーーとブツブツ文句を言いながら、サドルバッグからレインウェアとネオプレンのグローブ、シューズカバーを取り出す。この出したりしまったりが面倒くさいんだよな・・・。
再出発まで10分近くかかってしまう。まったく、ぶつぶつ・・・。時計を見ると夜中の2時50分頃か。天気予報では、雨が降るのは土曜、つまり昨日の午前中だけじゃなかったっけ?まったく、まったく、まったく!段々と腹が立ってきた。気象庁に対して、そしてこの天気に対して、とにかく腹が立った。声に出して「っんでやねんボケッ!!」と言ってみる。でも怒ってもしかたないよな。
その後も雨は弱いながらも絶え間なく降り続ける。レインウェアを着ておいて正解だった。猪苗代湖沿いに東に向かって走るが、もちろん真夜中だから湖なんか見えない。ただ、この湖沿いの道路は観光ルートだからなのか、ずっとオレンジ色の街灯が続いていて、暗闇の中手探りで走る必要はない。クルマの通らない平坦路、巡航速度は遅くても、停まりさえしなければ「旅行速度=巡航速度」のイメージで走れそうだった。
ところがまたしても激しい眠気が襲ってきた。う、これはやばい!信号待ちをしている間に両足のクリートを外し、自転車をまたいで立ってハンドルを持ったまま目を閉じ、首をガクッと前に倒す。すると視覚だけがなくなり、やがて頭の奥の方から、スーーーーーっと意識が遠くなっていくのが分かった。このまま沈み込めたら気持ちいいだろうな・・・・。
いや、いかんいかん、まだ仮眠ポイントまでは距離がある。こんなところで留まるわけにはいかない。しかも立ったまま意識が遠のいたら、おそらくガシャーンと自転車ごと倒れてしまうだろう。青信号になっていたので先へ進む。しかし眠気はいかんともしがたく、交差点ごとにそんなことをくり返したあげく、結局ある地下歩道の入口でちょっと座って休んでいくことにした。幸い、雨も止んできた。
地下歩道の入口の外壁に自転車を立てかけ、自分も外壁を背にしてしゃがみ込み、ヘルメットを脱いで膝を抱えてうずくまり、目を閉じる。ところが今度は目を閉じても、クッキリ意識は冴えたままなのだった。さっきまであんなに眠かったのに。眠くないのならうずくまっていてもしょうがない。先へ進もう。5分ほどで再出発。時間は午前3時半頃、もうすぐ夜明けだろうか。
結局、湖はまったく見えぬまま猪苗代湖を後にし、今度は中山峠に向かって登り始める。
8年前のツーリングの記憶では、それなりに急な登りだったと思うが・・・登ってみると峠というより登り基調という程度の勾配だった。そりゃ、あのとき乗っていた両サイドバッグにテント装備のランドナーと、今乗っている軽装スポルティーフじゃ、勾配のしんどさもちがうよな。
途中で一人追い抜き、あっけなくピークの中山トンネルに着いてしまった。ここで空が一気に明るくなり始める。もう6月だし、夜明けも早い。4時台といえばもう完全に朝だ。空には雲の筋がたなびき、早朝の涼しくさわやかな空気。今日はいい天気になりそうじゃないか。
幅員のある快速路の上を、猛スピードで駆け下りていく。ただ惰性で下りるのではなく、下りでもペダルを踏み込んでいく。下りながら一人で「さあ太陽を呼んでこい」や「誰かが口笛吹いた」を歌ってみた。
下り基調の快速路はそのままPC4まで続いていた。朝の4時半頃、郡山市内のセブンイレブンに到着。ちょうど買い物を終えて、ハンドルにコンビニ袋をぶら下げて健康ランドに向かっていくソロのロード女史の後ろ姿を見送る。キューシートでは347km地点だが、サイコンのメーターではもっとたくさん走っている。さすがにこれだけ長く走っていると、誤差もひどくなる。中で買い物を済ませてレシートゲット。そしてもう一人、カップそばを作っているオレンジ蛍光ジャケット氏にも遭遇。久々に他の人と言葉を交わした。
買い物をしたはいいが、あまり食欲がない。食べやすいゼリーだけを食べ、残りのサンドイッチなどを食べるのは健康ランドで寝てからにしよう。レインウェアをしまい込み、シューズカバーを外し、グローブも再び乾いた通常のグローブに交換。
そしてフッと横を見ると、ついさっきまでカップそばを食べていたオレンジ蛍光ジャケット氏が、地面に倒れて寝ていた。傍らでは割り箸のつっこまれた食べかけのカップそばが湯気をあげている。うーむ、そばがノびてしまうぞ。起こしてあげた方がいいのか?けれどせっかく深い眠りに落ち込んでいるところに、たかがそばごときで起こしてしまうのも悪い気がする。今、彼にとって必要なのはカップそばか睡眠か?・・・まちがいなく睡眠だろう。そのままコンビニを後にする僕であった。
さて、この先1km弱のところに健康ランドがあるはずだが・・・・。GPSにウェイポイントを転送し忘れていたので、サイコンの距離を元に探す。もう一軒セブンイレブンの前を通り過ぎ、さらに南へ。おかしいな〜なかなか見つからないな〜。こんなに離れているのか?朝日に照らされながら、再びファーーーーっと眠気が襲ってくる。早く健康ランドに入館して、さっさと横になりたいのだが。こうしている間にもどんどん時間が削れていってしまう。
そうやってあたりをキョロキョロしながら徐行しているとき、ついにGPSの電池が切れた。夜間バックライト点けっぱなしで駆動時間が24時間弱か。さすがはeTrex Legend HCx。いったん停車し、エネループを交換し、再び健康ランドを探す。
朝5時過ぎになってようやく健康ランドを発見!サイコンの誤差を読み間違えたか、それともキューシートに自分だけのオリジナルポイントを挿入したときに、Excelの距離の再計算をミスったのか。まぁ着いたからいいか。道路を渡って駐車場に進入し、自転車置き場へ。おお!ブルベ参加者の自転車が何台も停まっている!その光景を見て嬉しくなってしまった。当初の予定ではここには朝4時に着いて6時に出発するつもりだったが、約1時間遅れ。けれど6時出発というのを動かさなければ、予定に追いつくことになる。
駐輪場でカギを掛け、ヘルメットをハンドルに引っかける。するとそこへすでに仮眠を終え、朝食を食べたり準備したりする人たちがやってきた。そうか、今まで寝ていたのか・・・僕は今から寝るのだが、間に合うだろうか?
「もう今から出かけられるんですか?」「そうです、もう行きます」・・・寂しいなぁ。「うーん、今から寝るんだけれど、迷うなぁ・・・」今からスタートしようという人たちの姿を見て、正直いって迷った。このまま今から走れば今度は当初の予定に対して貯金が作れる。しかも今は夜中ほどには眠気はひどくない。「でもちゃんと横になって寝ておいた方がいいですよ。疲れていると危ないですからね。まだこんなに寝ているし。クローズ時間が6時過ぎだから、まだまだ寝ていけますよ」と、ブルベを走り慣れていそうなその方は、停まっている自転車を指しながら落ち着いた様子で言う。うーむ、冷静だなぁ。経験があるゆえ、先の先までちゃんと見通せているのだろう。
たしかに、まだまだ出発しなさそうなロードバイクが何台も停まっている。PC4のクローズ時間は午前6時8分。クローズ時間に出発したとして、その後旅行速度15km/hを維持できれば制限時間には間に合うのだから、つまりクローズ時間までは寝ていていいということだ。やはり寝ていくことにしよう。途中で足首に張りが出ていた右足を引きずりながら、館内へ。
入館手続きを済ませ、タオルなどを受取り、仮眠室のある2階へ。タオルなどはお風呂に入るためのものだけれど、風呂に入りたいわけではなくすぐに寝たいので、仮眠室へ直行。時間は5時15分。何だかんだで時間が削れていくよな・・・・。真っ暗で涼しいその大広間には、タオルや毛布をかぶった人たちが何人も寝ていた。僕も横になろう。6時ピッタリに起きるのでは時間が短すぎるので、6時10分に携帯電話の目覚ましをセットする。マナーモードだけれど、耳元でブルブル震えればさすがに分かるだろう。・・・目を閉じ、意識が少しずつ遠のいていく・・・。
しばらくして、「あら、男性の方が寝てる」というおばさんの声が頭上から聞こえてきた。おうよ、僕は男ですが・・・と意識の底で答える。が、次の瞬間ガバッと飛び起きた。まさか部屋まちがえた!?「もしかして男女別とかですか?」と、係員かお客さんかは分からないがそのおばさんに尋ねる。「男の方はもっと向こうの部屋よ」・・・なんと!荷物をつかんで部屋を飛び出してみると、女性用という札がちゃんと床に立っていた。なんてこった、全然気づかなかった。集中力が落ちすぎだろう、いくらなんでも。じゃあ男性用仮眠室は?
通路をウロウロ探し歩いて正しい部屋へ。扉を開けてみると、先ほどの部屋とはちがって壁面はただのカーテンになっており、中は明るい。そうか、ここが正しい部屋だったか。もう一度寝直すが、時計を見るともう5時半だった。あー、さっきの15分損した〜〜なんてこったちくしょう、あのまま眠りに落ち込みたかったよ。急いで寝ようとするが、寝なければ寝なければと焦っていて、なかなか意識が底の方に沈み込まない。とりあえず横になって頭に巻いていたバンダナを目の上にのせ、目を閉じるだけ閉じよう・・・ZZZZ
次の瞬間、目覚ましがわりの携帯電話がブルブルと震えているのに気づいて目が覚めた。時計を見ると6時10分。携帯電話の目覚ましを止め、ノロノロと起き出す。次の瞬間と思ったのは自分だけで、実際にはしっかり40分経っているのだった。もうこんな時間かよっ。眠気は少しだけ取れたけれど、全然寝足りない。けれどこれ以上ここに留まっていると、さすがに後で苦しくなる。
チェックアウトを済ませるべく受付に並ぶが、受付には一人しか係員しかおらず、カウンターの前には列ができていた。うぅ、焦る。チェックアウトを終え、外の駐輪場へ。先ほど停まっていたロードバイクたちは、ことごとく消えていた。うーむ焦るぞこれは・・・。また単騎になってしまうのか。けれどまあとりあえず朝飯食べようっと。ハンドルに引っかけておいた朝飯をモシャモシャと食べる。
駐輪場には、オダックスジャパンのジャージを着た一団がいた。見ると、昨日の朝、雨のサイクリングロードでパンクしたときに声を掛けてくれた、あの余裕氏たちのトレインじゃないか。チェーンに油を差したり食事を取ったりして、出発の準備をしている。もうこんな時間なのに、まったく焦っている様子がない。それはこの後十分に巻き返せる脚があるからだろう。PC4のクローズ時間はもう過ぎているので、この後から追いついてくる人はもういないはず。つまり僕を含むこの集団が正真正銘の最後尾グループだと思う。
彼らは余裕の様子だが、脚のない僕は彼らより先に出発しておかなければ後がやばい。6時40分頃、ようやく出発。
■立ちはだかるヒルクライム、雨、そして失格の大ピンチ!
健康ランドを出てからNo.51までは、ブリーフィングでも話にあったとおり、今回のブルベ屈指の素晴らしいコースだった。朝のすがすがしい空気の中、ゆるやかなアップダウンが彼方まで続いているのが見える。両側には田んぼが広がっておりその向こうには山が続いている。ただ、これから向かう東側の山の上空に分厚い雲が広がっているのが気になるのだが。もうこれ以上の雨は勘弁してほしい。
気持ちのいいコースなのはいいのだが、またもや眠気が復活してきてしまった。せっかく健康ランドに立ち寄ったのに、睡眠の効力はこんなに早く切れてしまうものなのか。
そして健康ランドを出てから40分ほど経ったところで、またしても雨が降り出すのだった!!空を見ると一面境目のない雲。完全な雨雲じゃないか!チッと舌打ちをし、軒下がないので少し大きめの木の下に自転車を停め、再びレインウェアとシューズカバーを着込む。グローブは・・・この先はしんどいヒルクライムだし、もう濡れたままでいいだろう。ネオプレンではなくノーマルグローブのままでいく。
レインウェアを着込んでいる間、先ほどの余裕氏たちの一団が「雨むかつくねー」と言いながら僕の少し先に停まった。やはりレインウェアを着込むらしい。また、僕が最後尾だと思っていたが、後からもう一人、ソロで追いついてくる人がいた。余裕氏たちのトレインには引き離され、じきに姿が見えなくなった。
雨にシトシト打たれながら、鳳坂峠の麓にたどりつく。この時点で標高約400m、ここから6kmで400m以上登らなくてはならない。ここが最後のしんどい峠。途中に12%の登りとやらがあるらしいが・・・。ここでは予定でもたっぷり時間を使って登るつもりだった。6kmの登りでも、30分以上使わないとたぶん登り切れないだろう。
インナー×インナーで登り始める。安定低速走行で行こう。するとそこへ後方からもう一人、青いジャージを着た黒いロードバイクが追い越していった。シートステーには「MADE IN U.S.A.」とある。あ!序盤に後ろに付かせてもらった若いキャノンデールの人だ!力強いペダリングでモリモリと峠を登っていき、あっという間に姿が見えなくなった。
今回のブルベでは、前半の舟鼻峠がいちばんキツイと予想していたが、なんのなんの、この鳳坂峠の方がはるかにしんどい。雨がシトシト降る中、狭い登りを時速8kmとか9kmで登らなくてはならない。ちくしょう、試練だなぁ、試練だのぅ。
途中何度か足を付いて停まり、早くもミニ羊羹投入。ヒルクライムでハンガーノックになったらシャレにならん。ボトルの残量も心許ない。一息、二息、三息ぐらい休んで再び登り出す。鳳坂峠のピークもキューシートに挿入しており、だいたい385km地点のはずだった。サイコンではもっと走っているのでもっと先にあるが。その385km+αまでの残り距離をカウントしながら登るが、なかなか距離が稼げず、苦しい戦い。
余裕氏のトレインを除けば、ソロ参加者の中では圧倒的にビリの方を走っていると思ったが、この峠の登りにつかまってしまったのか、やがて前方に何人かソロの人たちの姿を認めた。よし、あの人たちを目標に登っていこう。何か手がかりがある状態で登る方がやりやすい。やがて登り12%とかいう看板の前を通り過ぎる。12%・・・。登り始めで力強くモリモリと登っていった黒キャノ氏も、この勾配につかまり、意外と距離が離れていないことが分かった。
ギアはとっくにフロント34T×リア34T(MTB用スプロケ)まで落ちている。前方にいた人を一人、また一人と拾っていく。その中の一人は途中でも見かけた気がするGPS(MAP60CSx)を備えたロードの人だった。GPSでは高度も分かるのだが、今の高度と、すでに判明している鳳坂峠とピークまでの残り距離を比べると、残っている距離のわりに獲得予定標高がたっぷり余っている。MAP60氏共々、GPSの表示を見てゲンナリする。
MAP60氏を後に残し、さらに前へ。そしてもう一人前方にロードの人が。よし、次はあの人だと思った次の瞬間、そのロード氏は自転車を下りて手押しを始めるのだった。ううっ、その姿を見たくはなかったぞ!なぜならば他の人が手押しをしているのを見ると、自分まで手押しをしたくなるからだ。
ううぅっ・・・全身をぷるぷるぷるとコキザミに震わせ、その手押しロード氏を追い越し、前へ前へ。すさまじい勾配の道路がつづら折りではなく何と一直線に伸びている。どんなに遅くても自転車に乗ってさえいれば手押しをしている人よりは速い。じわっ、じわっと手押し氏との距離は離れていく。
とりあえず追いつけそうな人を全員追い抜き、前方の目標を喪失してしまった。その直後のスピードは時速6km。そのサイコン表示を見た瞬間、とうとう僕もこらえきれなくなった。自転車を下りて、ここで無念の手押し。いや、無念というより安堵の手押し。悔しくも何ともなかった。息は上がっていないが、脚がもう回らない。ギアが足りない。いや自分の出力が足りない。といってもえっちらおっちら歩くのではなく、時速5km以上でスタスタと歩いて登っていく。するとあっという間に息が上がった。
いつまでも手押しをしていても進まないので、傾斜が緩くなったところで再び乗車。ちくしょう、ちくしょう、いつになったら登り終わるんだウオーーーーー!!!
9時10分頃、ようやく鳳坂峠のピークにたどり着く。暑くてたまらん。途中で雨が止んだので、ここでレインウェアを脱いでおこう。この先はダウンヒルだし、どこで止まれるか分からない。
レインウェアをしまい込み、ミニ羊羹や水、ドリンクを補給して態勢を整えているあいだに、これまたなつかしの実況中継氏が追いついてきた。実況中継氏は「ギアが3枚ぐらい足りない」と言う。3枚どころか、僕はMTB用スプロケでも足りなかったぞ。
下る準備が整い、実況中継氏が駆け下りていった。そして僕も猛スピードで下っていく。惰性で下るのではなく、下りでも重いギアを踏み込んで加速していく。こういうところでも距離を稼いでいかないと、後が苦しくなる。実況中継氏が猛烈な速さで進み、大きく離れて僕と途中で追い抜いた黒キャノ氏が続く。もう一人ソロのロードの人がいたが、千切ってしまった。
途中、羽鳥湖のそばを通った。ダウンヒルしながら見下ろす羽鳥湖の眺めはすばらしかった。これがツーリングなら、まちがいなく自転車を停めて写真の一枚でも撮っているだろう。
下り一辺倒というわけではなく、途中登るところもあるが、そこも位置エネルギーを利用してフロントアウターのまま一気に乗り越えていく。この区間では、いちばん後からやってきた実況中継氏が圧倒的に速い。その姿を見失わないよう必死で後を追う。残念ながら向かい風が強く、ペダルを回さなければダウンヒルのスピードで下れないのだ。
アップダウンやトンネルをいくつも越え、実況中継氏の鬼引きが続く。脚力でいえば、僕よりも黒キャノ氏の方があるはずだったが、バックミラーに映る黒キャノ氏はなかなか追いついて来ない。というより、先ほどの登り始めの力強いペダリングとは対照的に、自転車をこいでいるという「意思」があまり感じられない。うーむ、消耗が激しいのか?
下り基調は阿賀川に合流するまで続き、この区間では一気に距離を稼げた。旅行速度はなんと1時間で25km以上。実況中継氏にえらい勢いで引っ張ってもらったこの1時間。
湯野上温泉まで下ると今度は会津田島まで登り基調になるが、当初の計画では登り出す前にここでコンビニに寄るつもりだった。この勢いを削ぎたくないとも思ったが、もう一度ちゃんと補給しておきたい。もうボトルの中身がほとんど空っぽだ。実況中継氏はどんどん突っかけていったが、僕は右手のコンビニを眺めながら減速。「どうしますか?」後ろから黒キャノ氏が尋ねてくる。「コンビニ寄ります!」と僕。先へ進み続ける実況中継氏から切り離され、二人でコンビニへ。当初の予定より25分遅れ。上出来だ。スタートからの走行距離はいつの間にか400kmを超えている。
自転車を下りて店内に入るが、右足首の具合がさらに悪くなっているのが自転車を下りるとよく分かった。スネの下部の前側(アキレス腱の反対側)が猛烈に張っている。張っているというか、明らかに痛い。ペダルを回している間はそれほど足首の角度は変わらないので平気だが、自転車を下りて歩くときは明らかに痛い。ここまでの距離というより、獲得標高の多さや勾配のキツさの影響の方が大きいのだと思う。
20分ほど休憩している間に、目の前を後続の参加者たちが通り過ぎていく。実況中継氏の鬼引きから千切れてしまった人や、意外や意外、オダックスジャージの余裕氏のトレインも通り過ぎていった。オーイと挨拶されたのでこっちも手を振り返す。とっくの昔に彼方に走り去っていたと思ったが、後ろにいたのか。どこで休んでいたんだろう?黒キャノ氏も「あれ?後ろにいたんだ?」と不思議そう。
黒キャノ氏と、お互いの自転車や装備品などについて話が盛り上がる。僕のスポルティーフはケルビムのクロモリ製。黒キャノ氏は、キャノンデールのカーボンフレーム+アルミバックのロード。アルミバックって珍しいんじゃ?クロモリはアルミやカーボンに比べてどうなんですかと黒キャノ氏から訊かれるが、残念ながら僕は、「サイクルモード」で試乗した以外にロードバイクに乗ったことがないのでよく分からない。スポルティーフの前はランドナーに乗っていたし・・・。
当初の予定より30分遅れでスタート。今度は黒キャノ氏が先行し、僕もそれに遅れないように付いていく。が、登りではジワジワと引き離されてしまう。それでもまだまだ、当初予定の通過時刻からそう大きくは引き離されていない。まだ制限時間には間に合うペースだ。ところどころでの休憩は予定よりも長くなってしまうものの、走行ペースそのものは考えていたよりも速く維持できている。
空は完全に晴れ、どんどん蒸し暑くなっていく。道路の両側に広がる木々の緑があざやかだ。そしてヒグラシの大合唱がものすごい!!両側の林から大音量で鳴き声が響き渡り、僕らが走っている谷筋にこだまするのだった。
途中で奇岩群の名所である「塔のへつり」への入口を通り過ぎた。8年前のツーリングでは会津田島からここを通って会津若松へと抜けて行き、塔のへつりにも立ち寄ったはず。しかし今は観光で寄り道をする時間はない。
それにしても前を走る黒キャノ氏の後ろ姿に、やはり先ほどよりも元気が感じられない。横に並んで追いついて、「眠くないですか〜?」と訊いてみた。なぜなら、僕も眠かったからである。米津一成さんの本「ロングライドに出かけよう」で、眠気対策として自分より眠そうな人に意識を向けて声を掛けるというのがあった。声を掛けられる側だけでなく、同じように眠い自分自身を起こす効果があるらしい。すると黒キャノ氏「眠いです!」・・・眠気は脚力や走力とはまったく関係なく襲ってくるからなぁ・・・。
標高450mから550mまで登り。走行430km、会津田島のセブンイレブンのあたりで往路と復路がぶつかり、ここから先は完全に往復共通コースになる。先ほど休んでから1時間ほどしか経っていないが、最後のヒルクライムである山王トンネル、そしてその向こうのPC5までの道のりでは、ここが最後の休憩ポイント。
黒キャノ氏は、ブルベ前日の金曜日も、わずか2時間しか寝られなかったらしい。つまり、金曜日の朝起きてから、日曜日の昼間である今まで、ほとんどロクに寝ていないことになる。そりゃたまらんわ。ブルベでなくてもしんどいだろう。
駐車場で、お出かけ中の乗用車のおじさんから話しかけられた。「何キロぐらい走るの?どこ走ってきたの?」と。僕らは「600kmです!」と答える。それを聞いてのけぞるおじさん。
30分ほど休んで、当初の予定より45分遅れで再スタート。引き続き黒キャノ氏を先頭に、僕がその後を付いていく形で登り続ける。今度は車間距離を引き離されることなく登るぞ。この山王トンネルを越えれば後は下り基調に転じるのだからそれまでのガマンだ。ここから山王トンネルまでの約18kmはずーっと登りが続くはず。黒キャノ氏が「たしか行きのときはそんな急な下り坂じゃなかったですよね?」と言うが、いまいち記憶があいまいだ・・・。往路の下りはそんなぶっ飛ばすという感じではなかった・・・・気がする。よく覚えていない。
相変わらず前を行く黒キャノ氏の背中から元気が感じられない。鳳坂峠の登り口ではあんなに力強いペダリングだったのに?・・・と思っていたら、微妙に蛇行しているじゃないか。蛇行したくなるようなきつい勾配ではないのに、これは明らかに眠気のせいだ?そしてフラッッッと大きく右側にふくらんだ。そこへ後ろからやってきた一台のオートバイ!うわっ、あぶないッ!オートバイが慌てて急減速し、黒キャノ氏を追い越して走り去っていった。うわっ、今のはあぶねぇ!!
慌てて黒キャノ氏の横に並び、いったん停車する。「キシリトールのブラックガムあげますよ」と僕。ブラックガムを七分丈ズボンのポケットから取り出し、黒キャノ氏に渡す。僕もブラックガムを口に入れる。ここから先は仮眠で眠気を解消するのではなく、無理矢理覚醒させてでも最後まで突っ切っていかないと時間がない。
その後も黒キャノ氏のタイヤの軌道がふらついていないか注意しながら後ろから付いていく。脚は僕よりも黒キャノ氏の方が格段に上回っているはずだが、眠気によるダメージは僕よりも黒キャノ氏の方が大きそうだった。
山王トンネルへの登坂中、かつてこの道や日光の杉並木は(今走っているのとは逆向きに)ツーリングで通ったことがあるということ、山王トンネルの向こう側には物産屋があって、管理人の気前のいいおっちゃんから佃煮やら何やらを食べ放題振る舞われたこと、もう通り過ぎてしまったけど、途中で塔のへつりという奇岩群があったことなどを黒キャノ氏に聞かせる。
まぁつまりは僕の旅自慢なわけだが、どんどん気温が上がる中、誰かに話しかけていないと眠気に襲われてしまうのだった。そして知り合いや友人ではなく、初対面の人と会話をするということが一定の緊張をもたらし、眠気の解消にもちょうどいいということに気づいた。
13時、ついに標高約860mの山王トンネルにたどりついた。当初の予定ではここには12時45分に着けばいいことになっているので、わずか15分差まで詰めることができた!これも前を走ってもらった黒キャノ氏のおかげだ。一人で登っていたら、垂れ放題に垂れていたにちがいない。
山王トンネルを通り抜けるとすぐに物産店「百姓屋」がある。トイレがあるので立ち寄っていこう。8年前に立ち寄ったときと同じく、管理人のおっちゃんが店の前のテーブルにおばちゃんたちを集めて大はしゃぎ。ただ、今は8年前とちがって、あの輪の中に加わるという気分ではない。土産物を見ていくでもなく、遠くからその賑やかなテーブルを眺めるのみだった。
クルマでやってきた一人のおじさんが、自転車姿の僕らを見て話しかけてくる。「どれくらい走るの?どこから来たの?」「600km走ります!でもまだ450kmしか走っていないです!川口から来ました!」と先ほどのコンビニで訊かれたときのように元気よく答える。それを聞いてのけぞるのは先ほどのおじさんと同じで、その反応が面白い!?
600km。フッ、ありえないよな。しかも「まだ」450kmしか走っていないという。「まだ」というのはこのときの実感だった。450kmだろうと600kmだろうと、自分のツーリングだったらランドナーならば5泊6日、今乗っているスポルティーフでも4泊5日で組み立てるような行程だぞ。
10分ほど休んだ後、下りへ向かって突っかけていく。黒キャノ氏にはもう十分に引いてもらった。ここから先は先頭交代。僕が前に出る・・・・って、ラクになってからデバるなよって感じがしないでもない!?まあとにかく先を急ごう。下りでもペダルを踏み込み、一気に加速。脚を回さなくても加速するほど急な下りではないので、距離を詰めるには踏み込みが必要だ。
もちろん下り一辺倒ではなく、ところどころで地形に合わせたアップダウンがあるが、鳳坂峠から湯野上にかけて実況中継氏に引いてもらったときのように、フロントアウターのまま位置エネルギーを利用して一気にクリアしていく。
男鹿川の峡谷をかっ飛ばし、そしてあるコーナーで、その実況中継氏が道路脇の木の間に入って座って寝ているところに突然出くわした。一瞬で通り過ぎてしまったが、今のはたしかに実況中継氏だったよな?はるか前方を走っていると思ったが、ここでようやく追いついたことになる。
そのままノンストップで鬼怒川のPC5、487km地点に到着。ここは24時間前に通ったPC2と共通なのだ。当初の予定より17分遅れ。物産店に停まっていた時間を考えればいいペースで来られたじゃないか。残り距離は100km台前半だから、ここでハッキリとゴールが見えてきた。
黒キャノ氏と、途中で何処で寝たのかという話になったが、黒キャノ氏は健康ランドでは眠らず、道中のところどころでコキザミに寝たりして、バスの待合室などでも横になったらしい。健康ランドでのマージンは作らず、文字どおり「仮眠」することでしのいできたようだ。
さらに黒キャノ氏、健康ランド手前のPC4で、PC4ではない間違ったセブンイレブンのレシートを手に入れてしまったという。「セブンイレブンが2つあって、手前のセブンイレブンがPC4だと思って買い物した後、次のセブンイレブンでオダックスの人たちが集まっているのが見えたんですよ」・・・ああ、あのセブンイレブンが2つあまり間を空けずに並んでいたところね。「それでそのセブンイレブンで買い物をしたときは時間を過ぎてしまったんだけど、手前のコンビニのレシートでもOKってスタッフの人に言われました」
ん?あれ?手前のコンビニ?次のコンビニ?正しいPC4は次のコンビニ!?・・・黒キャノ氏の話を聞いた途端に、ウッと胸が苦しくなった。「ええええっ!?えーと、次のコンビニがPC4?」・・・えーと、僕がレシートゲットしたのは・・・たしか手前のコンビニだぁああ嗚呼嗚呼嗚呼ッッッッ!!!!
卒倒しそうになった。(カップそばを食べている途中で眠り込んでしまったオレンジジャケット氏以外に)誰もいなかったのは、自分があまりに遅すぎるからだと思っていた。もう一つのセブンイレブン?たしかにあった。ちょ、ちょっと待ってくれ。首から提げていたブルベカードとゲットしたレシートを取り出す。ブルベカードには、そして自分のキューシートにも「セブンイレブン郡山喜久田店」とある。では自分の手に入れたレシートには・・・「セブンイレブン郡山喜久田堀之内店」とある。
「う、うわああああああああああッッッ!!」・・・声が出てしまった。まちがえた!レシートもらう店まちがえた!有人チェック通り過ぎた!ま、まさか、このままゴールしても失格ってか!?いや、まさかじゃなくて普通に考えたら失格だよな。
「受付の方から『ちゃんとコンビニの店名書いてあるじゃない』なんて言われちゃいましたよ。でも600km走っている最中にそんなの分かんないですよね?ほんと引っかけの罠みたいなの辞めてほしいですよ」と黒キャノ氏。
いやいやいやちょっと待て。黒キャノ氏は結局まちがいに気づいて、まちがっているけれど間に合っているレシートでPC4でチェックを受けている。僕はまちがっているけれど間に合っているレシートを手元に持っているだけだぞ。「でも、大丈夫だと思いますよ」と黒キャノ氏。たしかに黒キャノ氏のブルベカードには、僕と同じく郡山喜久田堀之内店のレシートがホチキスで留められており、堀之内店の時間で認定されていた。僕もゴール後に、このレシートでOKなのか?
「時間は4時半ぐらいだっつーの!」と僕。クローズ時間は6時8分である。「めちゃめちゃ早いじゃないですか」とギリギリだった黒キャノ氏。それにしても何たるミス。これでダメだったら、二度と立ち直れそうにない。もうブルベやめちゃいますって感じ。でも黒キャノ氏がOKなら、僕もOKになるのかな?まぁ失格でも文句言えないけれど。失格になったとしても、それはそれで後でレポートを書くネタとしてはオイシイ、なんちて。
僕は元・公務員なのだが、公務員の仕事といえば法律の要件に照らし合わせ、是か否かを判断するというのが基本になる。お客さんたる市民が何と言おうと、どれだけ困っていようと、ダメなものはダメと言い切らなければならないシーンは日常茶飯事だった。ダメというときのその言い方に工夫をこらしたとしても、やはり認められないものは認められないのだ。今回のブルベだって失格です!と宣告されれば、潔くそれに服するほかない。
このPC5では、MAP60氏、続いて実況中継氏も追いついてきた。当初の予定では僕はここは20分ほどの休憩で切り上げるつもりだったが、もう15分や20分の休憩では全然足りない。休憩時間を短くするのは早く(早くというよりトラブルに備えたマージンを考えて)走りきるための近道だが、自分の食べる量や食べる早さなどを考えれば、そもそも計画にムリがあった。
MAP60氏にもPC4について訊いてみた。やはり手前のコンビニでレシートを手に入れてしまい、まちがいに気づいて次のコンビニのレシートをゲットしたときにはもう時間が過ぎてしまったそうだが、手前のコンビニのレシートでもOKだったらしい。「他にも結構間違えている人多いと思いますよ」とMAP60氏。うーむ、間違えている人が多いかどうかはあまり問題ではない。ダメなものはダメだろう、と。あるいは担当者の胸一つかもしれない。でもまあ今やれることは、PC4以外の要件をすべて満たした上で、制限時間内にゴールすることだ。ここで何をわめいても仕方ない。
それにしてもコンビニにはもう飽きてきたな・・・。何を買っていいか分からない。自分は一体、今何を食べたいのだろうか?棚に陳列した商品を見ても、ちっともそそられない。黒キャノ氏も「コンビニばっかり飽きましたよね・・・」と言い、いまいち商品に手が出ないようだった。本当は牛丼でも食べたい。「すき家」の豚汁定食が食べたぁい!!
MAP60氏とも食べ物の話になり、やはりコンビニには飽きが来ているようだった。今回のコースは本当に田舎や山の中を走るので、牛丼屋などがないのである。「でもラーメン屋はよく見かけましたよね」とMAP60氏。「そば屋も多かったですよね」と黒キャノ氏。でもまあ店に入って食べていたら、食べ物が出てくるまでの時間がもったいない。走るのが遅い我々にはやはりコンビニしかないか?陳列されている物にそそられなくても、とにかく食べなくては前には進めない。食べるだけでなく、ここで最終兵器のカフェインタブレットでドーピング。この眠気覚ましがいつまで続くか、効用はさっぱり読めない。
そのMAP60氏、見ると両脚に湿布やらテーピングやらが貼り付けてあって痛々しい。うーむ大ダメージだなぁ・・・。僕も右足首の調子は相変わらず悪く、ペダルはこげるものの、右足を引きずるようにしか歩けない。しかし千葉の400km+自走帰宅85kmでも関節系のダメージはなかったので、今回は湿布などは持ってきていないのだった。
MAP60氏だけ先発。実況中継氏は屋外に積んであった樹脂製パレットに腰掛けて食事しながら携帯電話をいじっている。僕もその横のトレイの上に腰掛けて食事。もう地面に座るのもしんどい。それにしても実況中継氏、終盤にもかかわらず、まだ実況中継を続けているとは。よく漢字変換とか携帯電話の操作とかできるよなぁ・・・・。けれど投稿するだけ投稿して、見ている人のコメントをチェックする余裕まではないらしい。
続いて僕と黒キャノ氏も出発。当初の予定より30分遅れでの出発。もう15時20分か。もう何時間かすれば夕方。ほんと、昨日から引き続いて「長い一日」である。
サイコンの表示がとうとう500kmを超えたところで、日光例幣使街道、すなわち日光杉並木に突入!よーしここまで帰ってきたぞ!下り基調の杉並木、ガンガン行くぜ!バックミラーで黒キャノ氏の姿を確認しながらペダルをグリグリ回し、時速30km近くで巡航する。途中、杉並木の途切れたところの休憩スペースでMAP60氏が地面にあぐらをかいて眠っている前を通り過ぎた。健康ランドを使えなかった以上、こうやってところどころでごまかしごまかし眠っていくしかないのだろう。
僕の方も、この下りの杉並木で、またしても眠気が・・・。さっき服用したカフェインタブレットは1時間ちょっとしか効いていないことになる。いや、もはやカフェインどうこうというレベルの睡魔ではないのだろう。気持ちいいけれど単調な杉並木、ツーリングなら爽快だが、今はつらすぎる。「ねっむーーーーーい!」と叫ぶと、黒キャノ氏も「同じような道が続くのって眠いですよねー」と言う。気持ちいい道=眠い道。気持ちいい道が苦行そのものである。
それにしてもこの杉並木、元々道幅は狭くほとんど路肩がないのだが、復路では交通量がそれなりに多く、意外とストレスだった。ところどころでクルマの列に追い抜かしてもらうために減速する。下り基調なのが幸いだが・・・。
杉並木を通り抜け、鹿沼の市街地を南下していく。ここは交通量がとても多く、自分の横をトラックや乗用車が絶え間なくワンワン通り過ぎる。信号にも引っかかるし、ガマンの道のりだった。時間は17時過ぎ。空はまだまだ明るいが、太陽の光がオレンジ色になりつつあり、もうそろそろ夕方というムード。
「あ!」・・・また突然思い出した。歩道に上がり、自販機の前でストップ。僕はPC4を通り過ぎてしまったが、つまりPC4でチェックを受けておらず、主催者から見たら行方不明者、もしくは不連絡の無責任なDNF者になってしまって迷惑かけているのではないか?いちおうここで主催者に一本電話を入れておこう。自販機に自転車を立てかけ、携帯電話をかける。できればこのレシートでOKという確証も得ておきたい。
「もしもし、ブルベのアタック会津に参加しているかくげ太と申しますが」「はい、かくげ太さん、どうかされましたか?」「PC4ですぐ手前のコンビニで間に合っているけれどまちがったレシートを持ってきてしまったんですが、PC4を通り過ぎているのでもしかしたら行方不明者扱いになっているのではないかと思いまして。事故なく無事に続行していますー」「あー、それは大丈夫ですよ」「それと、他の方は手前のコンビニのレシートで認定してもらったそうなんですが、このレシートでも大丈夫なんでしょうか?時間的には間に合っているんですが」・・・ついでにここでOKの言質も得ておきたい。ゴクリと唾をのむ。
・・・「レシートはお持ちなんですね?ならばそれで大丈夫ですよ」と主催者。「ありがとうございます!それではまた続行しますので失礼いたします〜」「はい、お気を付けて〜」
はぁ〜よかった〜。失格を宣告されても文句は言えないけれど、とりあえず救済措置のおかげで助かった。これで心の憂いなく、残りの道のりに集中できる。胸のつかえが取れたぞ。目の前の自販機で甘〜いミルクティーをガタン!と1本購入し、ガブガブと飲む。もうスポドリにも飽きてきた。
そこへMAP60氏が追いついてきた。そしてここからは、3騎のトレインで進むことになるのだった。
(つづく)
■またしても降り続ける雨、真夜中の猪苗代湖を越え、そして夜が明けた。
PC3を出ると、じきに藤トンネルの登りに出くわす。決して急なヒルクライムではないが、すぐにインナーに落とし、これ以上脚が削られないようにする。藤トンネルを下るところで、会津若松の市街地だろうか?町の灯りが眼下に広がっているのが見えた。ダウンヒルが終わればしばらくは平坦基調の道が続くはずだ。
千葉400kmのときは、真夜中のこの時間帯に大きく遅れたのだった。だから今回は、深夜から明け方にかけてのこの時間帯をいかに垂れずに乗り切れるかがポイントだと思っていた。当初のもくろみは外れて完全単騎になってしまったが、とにかく停まらず走り続け、旅行速度の落下を防ぐのが肝心だ。
それにしても暗闇の中、一人で走っていると、頭の中で「あのときパンクさえしていなければ今頃はもっと!!」というネガティブな考えがすぐに復活してきてしまう。ちくしょー、今頃はもっと先を走っていてもっと余裕で・・・と。いやそんなことを今言ってもどうにもならん。ネガティブな考えをブンブンと振り払うべく、一人で「銀河鉄道999」の主題歌(ゴダイゴではなくささきいさおの方)を声に出して歌うのだった。
細かいアップダウンはあるが、幸い難所らしきものはない。うむ、なかなかいいペースで走れているぞ。
ところが、なんと早くもこの時間帯に眠気が来てしまった。ある交差点で信号待ちをしているときに、フアッとあくびが出てしまった。えっ、眠くなるのは明け方ではないのか!?まだ夜中の1時ぐらいじゃないか。千葉の400kmでも、眠気に襲われたのは朝6時以降だったはず。ここでキシリトールのブラックガムを取り出し、いっぺんに2個、口に入れる。ミントが強烈に効きすぎるくらいに効き、とりあえず目が覚めた。でもここで2個はもったいないか?
ガムをかみながら考える。そういえば千葉400kmのときは正午スタートで、スタート当日は前泊の宿で朝10時過ぎまで寝ていた。今日は朝5時起床だもんな。眠気がこの時間帯に来てもおかしくはないよな。けれどこの時間帯に眠ければ、仮眠ポイントに着く時間(朝5時くらい?)には、眠くて眠くて仕方なくて、すぐに深い眠りに落ちることができるんじゃないか?
平坦な区間を終えると、今度は猪苗代湖に向けての登りが始まる。標高200mから530mまで、急なヒルクライムではないものの、緩やかな登りがダラダラと続く。途中で二人組に追い抜かれた。遠ざかっていく二人組の赤LED。
そしてこの登りの最中、またしても雨が降り始めるのだった。それほど降りはひどくないのでしばらくそのまま進む・・・が、雨の降りは弱いながらもしかしポツポツ程度ではなく、確実に降っている。またかよ、また雨かよーーーー!次の軒下を見つけたらまたレインウェアを着ようと思うが、沿道は歩道しかない。
スピードを上げて急いで屋根のあるところを探し求めるが、なかなかたどりつかない。そうしているうちにだんだん雨の降りが強くなってきた。そしてようやく猪苗代湖に出ようかというところで、バス停の待合室を発見。その中に自転車を入れる。ちくしょう、また雨かよ、ちくしょーーーーとブツブツ文句を言いながら、サドルバッグからレインウェアとネオプレンのグローブ、シューズカバーを取り出す。この出したりしまったりが面倒くさいんだよな・・・。
再出発まで10分近くかかってしまう。まったく、ぶつぶつ・・・。時計を見ると夜中の2時50分頃か。天気予報では、雨が降るのは土曜、つまり昨日の午前中だけじゃなかったっけ?まったく、まったく、まったく!段々と腹が立ってきた。気象庁に対して、そしてこの天気に対して、とにかく腹が立った。声に出して「っんでやねんボケッ!!」と言ってみる。でも怒ってもしかたないよな。
その後も雨は弱いながらも絶え間なく降り続ける。レインウェアを着ておいて正解だった。猪苗代湖沿いに東に向かって走るが、もちろん真夜中だから湖なんか見えない。ただ、この湖沿いの道路は観光ルートだからなのか、ずっとオレンジ色の街灯が続いていて、暗闇の中手探りで走る必要はない。クルマの通らない平坦路、巡航速度は遅くても、停まりさえしなければ「旅行速度=巡航速度」のイメージで走れそうだった。
ところがまたしても激しい眠気が襲ってきた。う、これはやばい!信号待ちをしている間に両足のクリートを外し、自転車をまたいで立ってハンドルを持ったまま目を閉じ、首をガクッと前に倒す。すると視覚だけがなくなり、やがて頭の奥の方から、スーーーーーっと意識が遠くなっていくのが分かった。このまま沈み込めたら気持ちいいだろうな・・・・。
いや、いかんいかん、まだ仮眠ポイントまでは距離がある。こんなところで留まるわけにはいかない。しかも立ったまま意識が遠のいたら、おそらくガシャーンと自転車ごと倒れてしまうだろう。青信号になっていたので先へ進む。しかし眠気はいかんともしがたく、交差点ごとにそんなことをくり返したあげく、結局ある地下歩道の入口でちょっと座って休んでいくことにした。幸い、雨も止んできた。
地下歩道の入口の外壁に自転車を立てかけ、自分も外壁を背にしてしゃがみ込み、ヘルメットを脱いで膝を抱えてうずくまり、目を閉じる。ところが今度は目を閉じても、クッキリ意識は冴えたままなのだった。さっきまであんなに眠かったのに。眠くないのならうずくまっていてもしょうがない。先へ進もう。5分ほどで再出発。時間は午前3時半頃、もうすぐ夜明けだろうか。
結局、湖はまったく見えぬまま猪苗代湖を後にし、今度は中山峠に向かって登り始める。
8年前のツーリングの記憶では、それなりに急な登りだったと思うが・・・登ってみると峠というより登り基調という程度の勾配だった。そりゃ、あのとき乗っていた両サイドバッグにテント装備のランドナーと、今乗っている軽装スポルティーフじゃ、勾配のしんどさもちがうよな。
途中で一人追い抜き、あっけなくピークの中山トンネルに着いてしまった。ここで空が一気に明るくなり始める。もう6月だし、夜明けも早い。4時台といえばもう完全に朝だ。空には雲の筋がたなびき、早朝の涼しくさわやかな空気。今日はいい天気になりそうじゃないか。
幅員のある快速路の上を、猛スピードで駆け下りていく。ただ惰性で下りるのではなく、下りでもペダルを踏み込んでいく。下りながら一人で「さあ太陽を呼んでこい」や「誰かが口笛吹いた」を歌ってみた。
下り基調の快速路はそのままPC4まで続いていた。朝の4時半頃、郡山市内のセブンイレブンに到着。ちょうど買い物を終えて、ハンドルにコンビニ袋をぶら下げて健康ランドに向かっていくソロのロード女史の後ろ姿を見送る。キューシートでは347km地点だが、サイコンのメーターではもっとたくさん走っている。さすがにこれだけ長く走っていると、誤差もひどくなる。中で買い物を済ませてレシートゲット。そしてもう一人、カップそばを作っているオレンジ蛍光ジャケット氏にも遭遇。久々に他の人と言葉を交わした。
買い物をしたはいいが、あまり食欲がない。食べやすいゼリーだけを食べ、残りのサンドイッチなどを食べるのは健康ランドで寝てからにしよう。レインウェアをしまい込み、シューズカバーを外し、グローブも再び乾いた通常のグローブに交換。
そしてフッと横を見ると、ついさっきまでカップそばを食べていたオレンジ蛍光ジャケット氏が、地面に倒れて寝ていた。傍らでは割り箸のつっこまれた食べかけのカップそばが湯気をあげている。うーむ、そばがノびてしまうぞ。起こしてあげた方がいいのか?けれどせっかく深い眠りに落ち込んでいるところに、たかがそばごときで起こしてしまうのも悪い気がする。今、彼にとって必要なのはカップそばか睡眠か?・・・まちがいなく睡眠だろう。そのままコンビニを後にする僕であった。
さて、この先1km弱のところに健康ランドがあるはずだが・・・・。GPSにウェイポイントを転送し忘れていたので、サイコンの距離を元に探す。もう一軒セブンイレブンの前を通り過ぎ、さらに南へ。おかしいな〜なかなか見つからないな〜。こんなに離れているのか?朝日に照らされながら、再びファーーーーっと眠気が襲ってくる。早く健康ランドに入館して、さっさと横になりたいのだが。こうしている間にもどんどん時間が削れていってしまう。
そうやってあたりをキョロキョロしながら徐行しているとき、ついにGPSの電池が切れた。夜間バックライト点けっぱなしで駆動時間が24時間弱か。さすがはeTrex Legend HCx。いったん停車し、エネループを交換し、再び健康ランドを探す。
朝5時過ぎになってようやく健康ランドを発見!サイコンの誤差を読み間違えたか、それともキューシートに自分だけのオリジナルポイントを挿入したときに、Excelの距離の再計算をミスったのか。まぁ着いたからいいか。道路を渡って駐車場に進入し、自転車置き場へ。おお!ブルベ参加者の自転車が何台も停まっている!その光景を見て嬉しくなってしまった。当初の予定ではここには朝4時に着いて6時に出発するつもりだったが、約1時間遅れ。けれど6時出発というのを動かさなければ、予定に追いつくことになる。
駐輪場でカギを掛け、ヘルメットをハンドルに引っかける。するとそこへすでに仮眠を終え、朝食を食べたり準備したりする人たちがやってきた。そうか、今まで寝ていたのか・・・僕は今から寝るのだが、間に合うだろうか?
「もう今から出かけられるんですか?」「そうです、もう行きます」・・・寂しいなぁ。「うーん、今から寝るんだけれど、迷うなぁ・・・」今からスタートしようという人たちの姿を見て、正直いって迷った。このまま今から走れば今度は当初の予定に対して貯金が作れる。しかも今は夜中ほどには眠気はひどくない。「でもちゃんと横になって寝ておいた方がいいですよ。疲れていると危ないですからね。まだこんなに寝ているし。クローズ時間が6時過ぎだから、まだまだ寝ていけますよ」と、ブルベを走り慣れていそうなその方は、停まっている自転車を指しながら落ち着いた様子で言う。うーむ、冷静だなぁ。経験があるゆえ、先の先までちゃんと見通せているのだろう。
たしかに、まだまだ出発しなさそうなロードバイクが何台も停まっている。PC4のクローズ時間は午前6時8分。クローズ時間に出発したとして、その後旅行速度15km/hを維持できれば制限時間には間に合うのだから、つまりクローズ時間までは寝ていていいということだ。やはり寝ていくことにしよう。途中で足首に張りが出ていた右足を引きずりながら、館内へ。
入館手続きを済ませ、タオルなどを受取り、仮眠室のある2階へ。タオルなどはお風呂に入るためのものだけれど、風呂に入りたいわけではなくすぐに寝たいので、仮眠室へ直行。時間は5時15分。何だかんだで時間が削れていくよな・・・・。真っ暗で涼しいその大広間には、タオルや毛布をかぶった人たちが何人も寝ていた。僕も横になろう。6時ピッタリに起きるのでは時間が短すぎるので、6時10分に携帯電話の目覚ましをセットする。マナーモードだけれど、耳元でブルブル震えればさすがに分かるだろう。・・・目を閉じ、意識が少しずつ遠のいていく・・・。
しばらくして、「あら、男性の方が寝てる」というおばさんの声が頭上から聞こえてきた。おうよ、僕は男ですが・・・と意識の底で答える。が、次の瞬間ガバッと飛び起きた。まさか部屋まちがえた!?「もしかして男女別とかですか?」と、係員かお客さんかは分からないがそのおばさんに尋ねる。「男の方はもっと向こうの部屋よ」・・・なんと!荷物をつかんで部屋を飛び出してみると、女性用という札がちゃんと床に立っていた。なんてこった、全然気づかなかった。集中力が落ちすぎだろう、いくらなんでも。じゃあ男性用仮眠室は?
通路をウロウロ探し歩いて正しい部屋へ。扉を開けてみると、先ほどの部屋とはちがって壁面はただのカーテンになっており、中は明るい。そうか、ここが正しい部屋だったか。もう一度寝直すが、時計を見るともう5時半だった。あー、さっきの15分損した〜〜なんてこったちくしょう、あのまま眠りに落ち込みたかったよ。急いで寝ようとするが、寝なければ寝なければと焦っていて、なかなか意識が底の方に沈み込まない。とりあえず横になって頭に巻いていたバンダナを目の上にのせ、目を閉じるだけ閉じよう・・・ZZZZ
次の瞬間、目覚ましがわりの携帯電話がブルブルと震えているのに気づいて目が覚めた。時計を見ると6時10分。携帯電話の目覚ましを止め、ノロノロと起き出す。次の瞬間と思ったのは自分だけで、実際にはしっかり40分経っているのだった。もうこんな時間かよっ。眠気は少しだけ取れたけれど、全然寝足りない。けれどこれ以上ここに留まっていると、さすがに後で苦しくなる。
チェックアウトを済ませるべく受付に並ぶが、受付には一人しか係員しかおらず、カウンターの前には列ができていた。うぅ、焦る。チェックアウトを終え、外の駐輪場へ。先ほど停まっていたロードバイクたちは、ことごとく消えていた。うーむ焦るぞこれは・・・。また単騎になってしまうのか。けれどまあとりあえず朝飯食べようっと。ハンドルに引っかけておいた朝飯をモシャモシャと食べる。
駐輪場には、オダックスジャパンのジャージを着た一団がいた。見ると、昨日の朝、雨のサイクリングロードでパンクしたときに声を掛けてくれた、あの余裕氏たちのトレインじゃないか。チェーンに油を差したり食事を取ったりして、出発の準備をしている。もうこんな時間なのに、まったく焦っている様子がない。それはこの後十分に巻き返せる脚があるからだろう。PC4のクローズ時間はもう過ぎているので、この後から追いついてくる人はもういないはず。つまり僕を含むこの集団が正真正銘の最後尾グループだと思う。
彼らは余裕の様子だが、脚のない僕は彼らより先に出発しておかなければ後がやばい。6時40分頃、ようやく出発。
■立ちはだかるヒルクライム、雨、そして失格の大ピンチ!
健康ランドを出てからNo.51までは、ブリーフィングでも話にあったとおり、今回のブルベ屈指の素晴らしいコースだった。朝のすがすがしい空気の中、ゆるやかなアップダウンが彼方まで続いているのが見える。両側には田んぼが広がっておりその向こうには山が続いている。ただ、これから向かう東側の山の上空に分厚い雲が広がっているのが気になるのだが。もうこれ以上の雨は勘弁してほしい。
気持ちのいいコースなのはいいのだが、またもや眠気が復活してきてしまった。せっかく健康ランドに立ち寄ったのに、睡眠の効力はこんなに早く切れてしまうものなのか。
そして健康ランドを出てから40分ほど経ったところで、またしても雨が降り出すのだった!!空を見ると一面境目のない雲。完全な雨雲じゃないか!チッと舌打ちをし、軒下がないので少し大きめの木の下に自転車を停め、再びレインウェアとシューズカバーを着込む。グローブは・・・この先はしんどいヒルクライムだし、もう濡れたままでいいだろう。ネオプレンではなくノーマルグローブのままでいく。
レインウェアを着込んでいる間、先ほどの余裕氏たちの一団が「雨むかつくねー」と言いながら僕の少し先に停まった。やはりレインウェアを着込むらしい。また、僕が最後尾だと思っていたが、後からもう一人、ソロで追いついてくる人がいた。余裕氏たちのトレインには引き離され、じきに姿が見えなくなった。
雨にシトシト打たれながら、鳳坂峠の麓にたどりつく。この時点で標高約400m、ここから6kmで400m以上登らなくてはならない。ここが最後のしんどい峠。途中に12%の登りとやらがあるらしいが・・・。ここでは予定でもたっぷり時間を使って登るつもりだった。6kmの登りでも、30分以上使わないとたぶん登り切れないだろう。
インナー×インナーで登り始める。安定低速走行で行こう。するとそこへ後方からもう一人、青いジャージを着た黒いロードバイクが追い越していった。シートステーには「MADE IN U.S.A.」とある。あ!序盤に後ろに付かせてもらった若いキャノンデールの人だ!力強いペダリングでモリモリと峠を登っていき、あっという間に姿が見えなくなった。
今回のブルベでは、前半の舟鼻峠がいちばんキツイと予想していたが、なんのなんの、この鳳坂峠の方がはるかにしんどい。雨がシトシト降る中、狭い登りを時速8kmとか9kmで登らなくてはならない。ちくしょう、試練だなぁ、試練だのぅ。
途中何度か足を付いて停まり、早くもミニ羊羹投入。ヒルクライムでハンガーノックになったらシャレにならん。ボトルの残量も心許ない。一息、二息、三息ぐらい休んで再び登り出す。鳳坂峠のピークもキューシートに挿入しており、だいたい385km地点のはずだった。サイコンではもっと走っているのでもっと先にあるが。その385km+αまでの残り距離をカウントしながら登るが、なかなか距離が稼げず、苦しい戦い。
余裕氏のトレインを除けば、ソロ参加者の中では圧倒的にビリの方を走っていると思ったが、この峠の登りにつかまってしまったのか、やがて前方に何人かソロの人たちの姿を認めた。よし、あの人たちを目標に登っていこう。何か手がかりがある状態で登る方がやりやすい。やがて登り12%とかいう看板の前を通り過ぎる。12%・・・。登り始めで力強くモリモリと登っていった黒キャノ氏も、この勾配につかまり、意外と距離が離れていないことが分かった。
ギアはとっくにフロント34T×リア34T(MTB用スプロケ)まで落ちている。前方にいた人を一人、また一人と拾っていく。その中の一人は途中でも見かけた気がするGPS(MAP60CSx)を備えたロードの人だった。GPSでは高度も分かるのだが、今の高度と、すでに判明している鳳坂峠とピークまでの残り距離を比べると、残っている距離のわりに獲得予定標高がたっぷり余っている。MAP60氏共々、GPSの表示を見てゲンナリする。
MAP60氏を後に残し、さらに前へ。そしてもう一人前方にロードの人が。よし、次はあの人だと思った次の瞬間、そのロード氏は自転車を下りて手押しを始めるのだった。ううっ、その姿を見たくはなかったぞ!なぜならば他の人が手押しをしているのを見ると、自分まで手押しをしたくなるからだ。
ううぅっ・・・全身をぷるぷるぷるとコキザミに震わせ、その手押しロード氏を追い越し、前へ前へ。すさまじい勾配の道路がつづら折りではなく何と一直線に伸びている。どんなに遅くても自転車に乗ってさえいれば手押しをしている人よりは速い。じわっ、じわっと手押し氏との距離は離れていく。
とりあえず追いつけそうな人を全員追い抜き、前方の目標を喪失してしまった。その直後のスピードは時速6km。そのサイコン表示を見た瞬間、とうとう僕もこらえきれなくなった。自転車を下りて、ここで無念の手押し。いや、無念というより安堵の手押し。悔しくも何ともなかった。息は上がっていないが、脚がもう回らない。ギアが足りない。いや自分の出力が足りない。といってもえっちらおっちら歩くのではなく、時速5km以上でスタスタと歩いて登っていく。するとあっという間に息が上がった。
いつまでも手押しをしていても進まないので、傾斜が緩くなったところで再び乗車。ちくしょう、ちくしょう、いつになったら登り終わるんだウオーーーーー!!!
9時10分頃、ようやく鳳坂峠のピークにたどり着く。暑くてたまらん。途中で雨が止んだので、ここでレインウェアを脱いでおこう。この先はダウンヒルだし、どこで止まれるか分からない。
レインウェアをしまい込み、ミニ羊羹や水、ドリンクを補給して態勢を整えているあいだに、これまたなつかしの実況中継氏が追いついてきた。実況中継氏は「ギアが3枚ぐらい足りない」と言う。3枚どころか、僕はMTB用スプロケでも足りなかったぞ。
下る準備が整い、実況中継氏が駆け下りていった。そして僕も猛スピードで下っていく。惰性で下るのではなく、下りでも重いギアを踏み込んで加速していく。こういうところでも距離を稼いでいかないと、後が苦しくなる。実況中継氏が猛烈な速さで進み、大きく離れて僕と途中で追い抜いた黒キャノ氏が続く。もう一人ソロのロードの人がいたが、千切ってしまった。
途中、羽鳥湖のそばを通った。ダウンヒルしながら見下ろす羽鳥湖の眺めはすばらしかった。これがツーリングなら、まちがいなく自転車を停めて写真の一枚でも撮っているだろう。
下り一辺倒というわけではなく、途中登るところもあるが、そこも位置エネルギーを利用してフロントアウターのまま一気に乗り越えていく。この区間では、いちばん後からやってきた実況中継氏が圧倒的に速い。その姿を見失わないよう必死で後を追う。残念ながら向かい風が強く、ペダルを回さなければダウンヒルのスピードで下れないのだ。
アップダウンやトンネルをいくつも越え、実況中継氏の鬼引きが続く。脚力でいえば、僕よりも黒キャノ氏の方があるはずだったが、バックミラーに映る黒キャノ氏はなかなか追いついて来ない。というより、先ほどの登り始めの力強いペダリングとは対照的に、自転車をこいでいるという「意思」があまり感じられない。うーむ、消耗が激しいのか?
下り基調は阿賀川に合流するまで続き、この区間では一気に距離を稼げた。旅行速度はなんと1時間で25km以上。実況中継氏にえらい勢いで引っ張ってもらったこの1時間。
湯野上温泉まで下ると今度は会津田島まで登り基調になるが、当初の計画では登り出す前にここでコンビニに寄るつもりだった。この勢いを削ぎたくないとも思ったが、もう一度ちゃんと補給しておきたい。もうボトルの中身がほとんど空っぽだ。実況中継氏はどんどん突っかけていったが、僕は右手のコンビニを眺めながら減速。「どうしますか?」後ろから黒キャノ氏が尋ねてくる。「コンビニ寄ります!」と僕。先へ進み続ける実況中継氏から切り離され、二人でコンビニへ。当初の予定より25分遅れ。上出来だ。スタートからの走行距離はいつの間にか400kmを超えている。
自転車を下りて店内に入るが、右足首の具合がさらに悪くなっているのが自転車を下りるとよく分かった。スネの下部の前側(アキレス腱の反対側)が猛烈に張っている。張っているというか、明らかに痛い。ペダルを回している間はそれほど足首の角度は変わらないので平気だが、自転車を下りて歩くときは明らかに痛い。ここまでの距離というより、獲得標高の多さや勾配のキツさの影響の方が大きいのだと思う。
20分ほど休憩している間に、目の前を後続の参加者たちが通り過ぎていく。実況中継氏の鬼引きから千切れてしまった人や、意外や意外、オダックスジャージの余裕氏のトレインも通り過ぎていった。オーイと挨拶されたのでこっちも手を振り返す。とっくの昔に彼方に走り去っていたと思ったが、後ろにいたのか。どこで休んでいたんだろう?黒キャノ氏も「あれ?後ろにいたんだ?」と不思議そう。
黒キャノ氏と、お互いの自転車や装備品などについて話が盛り上がる。僕のスポルティーフはケルビムのクロモリ製。黒キャノ氏は、キャノンデールのカーボンフレーム+アルミバックのロード。アルミバックって珍しいんじゃ?クロモリはアルミやカーボンに比べてどうなんですかと黒キャノ氏から訊かれるが、残念ながら僕は、「サイクルモード」で試乗した以外にロードバイクに乗ったことがないのでよく分からない。スポルティーフの前はランドナーに乗っていたし・・・。
当初の予定より30分遅れでスタート。今度は黒キャノ氏が先行し、僕もそれに遅れないように付いていく。が、登りではジワジワと引き離されてしまう。それでもまだまだ、当初予定の通過時刻からそう大きくは引き離されていない。まだ制限時間には間に合うペースだ。ところどころでの休憩は予定よりも長くなってしまうものの、走行ペースそのものは考えていたよりも速く維持できている。
空は完全に晴れ、どんどん蒸し暑くなっていく。道路の両側に広がる木々の緑があざやかだ。そしてヒグラシの大合唱がものすごい!!両側の林から大音量で鳴き声が響き渡り、僕らが走っている谷筋にこだまするのだった。
途中で奇岩群の名所である「塔のへつり」への入口を通り過ぎた。8年前のツーリングでは会津田島からここを通って会津若松へと抜けて行き、塔のへつりにも立ち寄ったはず。しかし今は観光で寄り道をする時間はない。
それにしても前を走る黒キャノ氏の後ろ姿に、やはり先ほどよりも元気が感じられない。横に並んで追いついて、「眠くないですか〜?」と訊いてみた。なぜなら、僕も眠かったからである。米津一成さんの本「ロングライドに出かけよう」で、眠気対策として自分より眠そうな人に意識を向けて声を掛けるというのがあった。声を掛けられる側だけでなく、同じように眠い自分自身を起こす効果があるらしい。すると黒キャノ氏「眠いです!」・・・眠気は脚力や走力とはまったく関係なく襲ってくるからなぁ・・・。
標高450mから550mまで登り。走行430km、会津田島のセブンイレブンのあたりで往路と復路がぶつかり、ここから先は完全に往復共通コースになる。先ほど休んでから1時間ほどしか経っていないが、最後のヒルクライムである山王トンネル、そしてその向こうのPC5までの道のりでは、ここが最後の休憩ポイント。
黒キャノ氏は、ブルベ前日の金曜日も、わずか2時間しか寝られなかったらしい。つまり、金曜日の朝起きてから、日曜日の昼間である今まで、ほとんどロクに寝ていないことになる。そりゃたまらんわ。ブルベでなくてもしんどいだろう。
駐車場で、お出かけ中の乗用車のおじさんから話しかけられた。「何キロぐらい走るの?どこ走ってきたの?」と。僕らは「600kmです!」と答える。それを聞いてのけぞるおじさん。
30分ほど休んで、当初の予定より45分遅れで再スタート。引き続き黒キャノ氏を先頭に、僕がその後を付いていく形で登り続ける。今度は車間距離を引き離されることなく登るぞ。この山王トンネルを越えれば後は下り基調に転じるのだからそれまでのガマンだ。ここから山王トンネルまでの約18kmはずーっと登りが続くはず。黒キャノ氏が「たしか行きのときはそんな急な下り坂じゃなかったですよね?」と言うが、いまいち記憶があいまいだ・・・。往路の下りはそんなぶっ飛ばすという感じではなかった・・・・気がする。よく覚えていない。
相変わらず前を行く黒キャノ氏の背中から元気が感じられない。鳳坂峠の登り口ではあんなに力強いペダリングだったのに?・・・と思っていたら、微妙に蛇行しているじゃないか。蛇行したくなるようなきつい勾配ではないのに、これは明らかに眠気のせいだ?そしてフラッッッと大きく右側にふくらんだ。そこへ後ろからやってきた一台のオートバイ!うわっ、あぶないッ!オートバイが慌てて急減速し、黒キャノ氏を追い越して走り去っていった。うわっ、今のはあぶねぇ!!
慌てて黒キャノ氏の横に並び、いったん停車する。「キシリトールのブラックガムあげますよ」と僕。ブラックガムを七分丈ズボンのポケットから取り出し、黒キャノ氏に渡す。僕もブラックガムを口に入れる。ここから先は仮眠で眠気を解消するのではなく、無理矢理覚醒させてでも最後まで突っ切っていかないと時間がない。
その後も黒キャノ氏のタイヤの軌道がふらついていないか注意しながら後ろから付いていく。脚は僕よりも黒キャノ氏の方が格段に上回っているはずだが、眠気によるダメージは僕よりも黒キャノ氏の方が大きそうだった。
山王トンネルへの登坂中、かつてこの道や日光の杉並木は(今走っているのとは逆向きに)ツーリングで通ったことがあるということ、山王トンネルの向こう側には物産屋があって、管理人の気前のいいおっちゃんから佃煮やら何やらを食べ放題振る舞われたこと、もう通り過ぎてしまったけど、途中で塔のへつりという奇岩群があったことなどを黒キャノ氏に聞かせる。
まぁつまりは僕の旅自慢なわけだが、どんどん気温が上がる中、誰かに話しかけていないと眠気に襲われてしまうのだった。そして知り合いや友人ではなく、初対面の人と会話をするということが一定の緊張をもたらし、眠気の解消にもちょうどいいということに気づいた。
13時、ついに標高約860mの山王トンネルにたどりついた。当初の予定ではここには12時45分に着けばいいことになっているので、わずか15分差まで詰めることができた!これも前を走ってもらった黒キャノ氏のおかげだ。一人で登っていたら、垂れ放題に垂れていたにちがいない。
山王トンネルを通り抜けるとすぐに物産店「百姓屋」がある。トイレがあるので立ち寄っていこう。8年前に立ち寄ったときと同じく、管理人のおっちゃんが店の前のテーブルにおばちゃんたちを集めて大はしゃぎ。ただ、今は8年前とちがって、あの輪の中に加わるという気分ではない。土産物を見ていくでもなく、遠くからその賑やかなテーブルを眺めるのみだった。
クルマでやってきた一人のおじさんが、自転車姿の僕らを見て話しかけてくる。「どれくらい走るの?どこから来たの?」「600km走ります!でもまだ450kmしか走っていないです!川口から来ました!」と先ほどのコンビニで訊かれたときのように元気よく答える。それを聞いてのけぞるのは先ほどのおじさんと同じで、その反応が面白い!?
600km。フッ、ありえないよな。しかも「まだ」450kmしか走っていないという。「まだ」というのはこのときの実感だった。450kmだろうと600kmだろうと、自分のツーリングだったらランドナーならば5泊6日、今乗っているスポルティーフでも4泊5日で組み立てるような行程だぞ。
10分ほど休んだ後、下りへ向かって突っかけていく。黒キャノ氏にはもう十分に引いてもらった。ここから先は先頭交代。僕が前に出る・・・・って、ラクになってからデバるなよって感じがしないでもない!?まあとにかく先を急ごう。下りでもペダルを踏み込み、一気に加速。脚を回さなくても加速するほど急な下りではないので、距離を詰めるには踏み込みが必要だ。
もちろん下り一辺倒ではなく、ところどころで地形に合わせたアップダウンがあるが、鳳坂峠から湯野上にかけて実況中継氏に引いてもらったときのように、フロントアウターのまま位置エネルギーを利用して一気にクリアしていく。
男鹿川の峡谷をかっ飛ばし、そしてあるコーナーで、その実況中継氏が道路脇の木の間に入って座って寝ているところに突然出くわした。一瞬で通り過ぎてしまったが、今のはたしかに実況中継氏だったよな?はるか前方を走っていると思ったが、ここでようやく追いついたことになる。
そのままノンストップで鬼怒川のPC5、487km地点に到着。ここは24時間前に通ったPC2と共通なのだ。当初の予定より17分遅れ。物産店に停まっていた時間を考えればいいペースで来られたじゃないか。残り距離は100km台前半だから、ここでハッキリとゴールが見えてきた。
黒キャノ氏と、途中で何処で寝たのかという話になったが、黒キャノ氏は健康ランドでは眠らず、道中のところどころでコキザミに寝たりして、バスの待合室などでも横になったらしい。健康ランドでのマージンは作らず、文字どおり「仮眠」することでしのいできたようだ。
さらに黒キャノ氏、健康ランド手前のPC4で、PC4ではない間違ったセブンイレブンのレシートを手に入れてしまったという。「セブンイレブンが2つあって、手前のセブンイレブンがPC4だと思って買い物した後、次のセブンイレブンでオダックスの人たちが集まっているのが見えたんですよ」・・・ああ、あのセブンイレブンが2つあまり間を空けずに並んでいたところね。「それでそのセブンイレブンで買い物をしたときは時間を過ぎてしまったんだけど、手前のコンビニのレシートでもOKってスタッフの人に言われました」
ん?あれ?手前のコンビニ?次のコンビニ?正しいPC4は次のコンビニ!?・・・黒キャノ氏の話を聞いた途端に、ウッと胸が苦しくなった。「ええええっ!?えーと、次のコンビニがPC4?」・・・えーと、僕がレシートゲットしたのは・・・たしか手前のコンビニだぁああ嗚呼嗚呼嗚呼ッッッッ!!!!
卒倒しそうになった。(カップそばを食べている途中で眠り込んでしまったオレンジジャケット氏以外に)誰もいなかったのは、自分があまりに遅すぎるからだと思っていた。もう一つのセブンイレブン?たしかにあった。ちょ、ちょっと待ってくれ。首から提げていたブルベカードとゲットしたレシートを取り出す。ブルベカードには、そして自分のキューシートにも「セブンイレブン郡山喜久田店」とある。では自分の手に入れたレシートには・・・「セブンイレブン郡山喜久田堀之内店」とある。
「う、うわああああああああああッッッ!!」・・・声が出てしまった。まちがえた!レシートもらう店まちがえた!有人チェック通り過ぎた!ま、まさか、このままゴールしても失格ってか!?いや、まさかじゃなくて普通に考えたら失格だよな。
「受付の方から『ちゃんとコンビニの店名書いてあるじゃない』なんて言われちゃいましたよ。でも600km走っている最中にそんなの分かんないですよね?ほんと引っかけの罠みたいなの辞めてほしいですよ」と黒キャノ氏。
いやいやいやちょっと待て。黒キャノ氏は結局まちがいに気づいて、まちがっているけれど間に合っているレシートでPC4でチェックを受けている。僕はまちがっているけれど間に合っているレシートを手元に持っているだけだぞ。「でも、大丈夫だと思いますよ」と黒キャノ氏。たしかに黒キャノ氏のブルベカードには、僕と同じく郡山喜久田堀之内店のレシートがホチキスで留められており、堀之内店の時間で認定されていた。僕もゴール後に、このレシートでOKなのか?
「時間は4時半ぐらいだっつーの!」と僕。クローズ時間は6時8分である。「めちゃめちゃ早いじゃないですか」とギリギリだった黒キャノ氏。それにしても何たるミス。これでダメだったら、二度と立ち直れそうにない。もうブルベやめちゃいますって感じ。でも黒キャノ氏がOKなら、僕もOKになるのかな?まぁ失格でも文句言えないけれど。失格になったとしても、それはそれで後でレポートを書くネタとしてはオイシイ、なんちて。
僕は元・公務員なのだが、公務員の仕事といえば法律の要件に照らし合わせ、是か否かを判断するというのが基本になる。お客さんたる市民が何と言おうと、どれだけ困っていようと、ダメなものはダメと言い切らなければならないシーンは日常茶飯事だった。ダメというときのその言い方に工夫をこらしたとしても、やはり認められないものは認められないのだ。今回のブルベだって失格です!と宣告されれば、潔くそれに服するほかない。
このPC5では、MAP60氏、続いて実況中継氏も追いついてきた。当初の予定では僕はここは20分ほどの休憩で切り上げるつもりだったが、もう15分や20分の休憩では全然足りない。休憩時間を短くするのは早く(早くというよりトラブルに備えたマージンを考えて)走りきるための近道だが、自分の食べる量や食べる早さなどを考えれば、そもそも計画にムリがあった。
MAP60氏にもPC4について訊いてみた。やはり手前のコンビニでレシートを手に入れてしまい、まちがいに気づいて次のコンビニのレシートをゲットしたときにはもう時間が過ぎてしまったそうだが、手前のコンビニのレシートでもOKだったらしい。「他にも結構間違えている人多いと思いますよ」とMAP60氏。うーむ、間違えている人が多いかどうかはあまり問題ではない。ダメなものはダメだろう、と。あるいは担当者の胸一つかもしれない。でもまあ今やれることは、PC4以外の要件をすべて満たした上で、制限時間内にゴールすることだ。ここで何をわめいても仕方ない。
それにしてもコンビニにはもう飽きてきたな・・・。何を買っていいか分からない。自分は一体、今何を食べたいのだろうか?棚に陳列した商品を見ても、ちっともそそられない。黒キャノ氏も「コンビニばっかり飽きましたよね・・・」と言い、いまいち商品に手が出ないようだった。本当は牛丼でも食べたい。「すき家」の豚汁定食が食べたぁい!!
MAP60氏とも食べ物の話になり、やはりコンビニには飽きが来ているようだった。今回のコースは本当に田舎や山の中を走るので、牛丼屋などがないのである。「でもラーメン屋はよく見かけましたよね」とMAP60氏。「そば屋も多かったですよね」と黒キャノ氏。でもまあ店に入って食べていたら、食べ物が出てくるまでの時間がもったいない。走るのが遅い我々にはやはりコンビニしかないか?陳列されている物にそそられなくても、とにかく食べなくては前には進めない。食べるだけでなく、ここで最終兵器のカフェインタブレットでドーピング。この眠気覚ましがいつまで続くか、効用はさっぱり読めない。
そのMAP60氏、見ると両脚に湿布やらテーピングやらが貼り付けてあって痛々しい。うーむ大ダメージだなぁ・・・。僕も右足首の調子は相変わらず悪く、ペダルはこげるものの、右足を引きずるようにしか歩けない。しかし千葉の400km+自走帰宅85kmでも関節系のダメージはなかったので、今回は湿布などは持ってきていないのだった。
MAP60氏だけ先発。実況中継氏は屋外に積んであった樹脂製パレットに腰掛けて食事しながら携帯電話をいじっている。僕もその横のトレイの上に腰掛けて食事。もう地面に座るのもしんどい。それにしても実況中継氏、終盤にもかかわらず、まだ実況中継を続けているとは。よく漢字変換とか携帯電話の操作とかできるよなぁ・・・・。けれど投稿するだけ投稿して、見ている人のコメントをチェックする余裕まではないらしい。
続いて僕と黒キャノ氏も出発。当初の予定より30分遅れでの出発。もう15時20分か。もう何時間かすれば夕方。ほんと、昨日から引き続いて「長い一日」である。
サイコンの表示がとうとう500kmを超えたところで、日光例幣使街道、すなわち日光杉並木に突入!よーしここまで帰ってきたぞ!下り基調の杉並木、ガンガン行くぜ!バックミラーで黒キャノ氏の姿を確認しながらペダルをグリグリ回し、時速30km近くで巡航する。途中、杉並木の途切れたところの休憩スペースでMAP60氏が地面にあぐらをかいて眠っている前を通り過ぎた。健康ランドを使えなかった以上、こうやってところどころでごまかしごまかし眠っていくしかないのだろう。
僕の方も、この下りの杉並木で、またしても眠気が・・・。さっき服用したカフェインタブレットは1時間ちょっとしか効いていないことになる。いや、もはやカフェインどうこうというレベルの睡魔ではないのだろう。気持ちいいけれど単調な杉並木、ツーリングなら爽快だが、今はつらすぎる。「ねっむーーーーーい!」と叫ぶと、黒キャノ氏も「同じような道が続くのって眠いですよねー」と言う。気持ちいい道=眠い道。気持ちいい道が苦行そのものである。
それにしてもこの杉並木、元々道幅は狭くほとんど路肩がないのだが、復路では交通量がそれなりに多く、意外とストレスだった。ところどころでクルマの列に追い抜かしてもらうために減速する。下り基調なのが幸いだが・・・。
杉並木を通り抜け、鹿沼の市街地を南下していく。ここは交通量がとても多く、自分の横をトラックや乗用車が絶え間なくワンワン通り過ぎる。信号にも引っかかるし、ガマンの道のりだった。時間は17時過ぎ。空はまだまだ明るいが、太陽の光がオレンジ色になりつつあり、もうそろそろ夕方というムード。
「あ!」・・・また突然思い出した。歩道に上がり、自販機の前でストップ。僕はPC4を通り過ぎてしまったが、つまりPC4でチェックを受けておらず、主催者から見たら行方不明者、もしくは不連絡の無責任なDNF者になってしまって迷惑かけているのではないか?いちおうここで主催者に一本電話を入れておこう。自販機に自転車を立てかけ、携帯電話をかける。できればこのレシートでOKという確証も得ておきたい。
「もしもし、ブルベのアタック会津に参加しているかくげ太と申しますが」「はい、かくげ太さん、どうかされましたか?」「PC4ですぐ手前のコンビニで間に合っているけれどまちがったレシートを持ってきてしまったんですが、PC4を通り過ぎているのでもしかしたら行方不明者扱いになっているのではないかと思いまして。事故なく無事に続行していますー」「あー、それは大丈夫ですよ」「それと、他の方は手前のコンビニのレシートで認定してもらったそうなんですが、このレシートでも大丈夫なんでしょうか?時間的には間に合っているんですが」・・・ついでにここでOKの言質も得ておきたい。ゴクリと唾をのむ。
・・・「レシートはお持ちなんですね?ならばそれで大丈夫ですよ」と主催者。「ありがとうございます!それではまた続行しますので失礼いたします〜」「はい、お気を付けて〜」
はぁ〜よかった〜。失格を宣告されても文句は言えないけれど、とりあえず救済措置のおかげで助かった。これで心の憂いなく、残りの道のりに集中できる。胸のつかえが取れたぞ。目の前の自販機で甘〜いミルクティーをガタン!と1本購入し、ガブガブと飲む。もうスポドリにも飽きてきた。
そこへMAP60氏が追いついてきた。そしてここからは、3騎のトレインで進むことになるのだった。
(つづく)
(つづき)
■降りしきる雨、覚悟を決めてスタート。
朝5時過ぎ起床。コンビニで買い込んでおいた朝食を食べ、念入りにストレッチ。サイクルタイツのパッドと自分の内股にアソスのシャモアクリームを塗り込む。その上に七分丈ズボン、MEDALIST CLUBの薄型長袖インナーウェア、そして夏用長袖サイクルジャージ。5月の400kmではCW-Xの長袖と、半袖サイクルジャージの組み合わせだったが、今回は夜中の福島県の山中を走るということで、防寒を考えて長袖二枚を選んだ。
Sugoiのシューズカバーを履き、ネオプレンの半防水グローブも着用し、チェックアウト。ブルベで積まない荷物はリュックに入れてフロントに預けておく。後泊するとはいえ、今日の夜は走り通し。この宿に泊まるわけではないので、連泊ではなくチェックアウトなのだった。
雨の神根運動場に到着。雨である。エントリーした時点では雨ならDNSとか考えていたはずなのに、ナゼか会場に居る。今年4本目のブルベのうち、これで3本までもが雨かよ。早速受付を済ませ、ブルベカードを記入。そしてオダックス埼玉が開発したブルベ専用蛍光ジャケットADX-Vを購入(1600円)。これまで使っていた警備員用ジャケットとはおさらばだ。
ブリーフィング開始。鬼怒川までの約100kmは平坦な道が続くけれど、ここで足を使わないように。その後ずーっと登りが続きます・・・という説明。そしてNo.14のややこしい交差点からサイクリングロードへの移り方についても注意。
車検を終え、次々に参加者たちがスタートしていく。200、300kmのときは人数が多かったので多段階スタートだったが、今回は全員午前7時の回だ。千葉400kmのときにお世話になったライジン氏ともこのとき再会した。ライジン氏の方が出るのが早く、走るのも速いので、たぶんPCでしか会えないだろう。
前回の400kmまでは、トレインから外れるためにあえて最後の方からスタートしていたが、今回はトレインではなく単騎でもなく、前後数キロの集団を意識しながら走る「クラウド作戦」で進むことにしていたので、僕も早いうちにスタートする。
そしてスタート直後に・・・GPSに、曲がり角や峠のピーク、PC(コントロールポイント:point de controle)やその他の休憩候補地を打ち込んだウェイポイントを転送するのを忘れているのに気がついた!なんてこった。あれだけ綿密にコースについて予習したのに。走行予定のトラックだけは転送していたのでコースのトレースはできるが、特に峠のピークが見えないのは痛い。ウェイポイントは前泊用の宿しか転送していなかった。何たるイージーミス。でもまあ今となっては仕方ない。
序盤はこれまでのブルベで何度も通った市街地。越谷市内を通り抜け、北西へと進む。途中でシートステーに「MADE IN U.S.A.」と書かれた黒いキャノンデールのロード氏の後ろに付いてトレイン状態に。速いトレインに付いていくのは激しく消耗する原因になるので避けたいところだが、今はスピードが同じなのでこのままでいいか。
しかし黒キャノ氏は途中のコンビニに立ち寄るようだった。うーむ、自分が先頭か・・・。後ろは気にせずマイペースで進む。ちなみにこの黒キャノ氏が今回僕にとっての恩人となるのだが、それが明らかになるのは25時間後のことだ。
江戸川を渡り、野田市から江戸川のサイクリングロードに乗る。雨は本降り。しかも吹きさらしの向かい風。自転車で走るにはしんどい状況だが、信号などがないので、旅行速度が巡航速度に近づき、それなりにいいペースで進めている。
そういえば小学生の頃に流山市に住んでいた僕は、小6の卒業後に親の転勤で遠くに引っ越すことになったのだが、最後の春休み、友人たちと野田市内の清水公園まで自転車で出かけたことがあった。そのときもこのサイクリングロードを通ったはず。
やがて関宿町に入り、ある交差点を通って再びサイクリングロードに入ったところで突然後輪が柔らかくなった気がした。後ろのタイヤを振り返ると、圧は抜けきっていないものの、タイヤがへこんでいた。
ぱぱぱぱ、パンクかよ!!サイコンを見るとまだ34kmしか走っていない。なんてこった!いや落ち着け。これまでパンクは何度も経験してきた。ブルベ300kmのときにサイコンのセンサーとライトをフロントホイールで吹き飛ばしてしまった事故に比べれば、普通にありえることだ。落ち着け。いやすでに落ち着いている。落ち着いているぞ。「バカな。私は冷静だ」と言ったのはザビ家の末っ子ガルマ・ザビである。
自転車をかついで土手を下り、サイクリングロードから一段下りた側道のガードレールにハンドルとペダルを引っかけ、後輪を外す。タイヤレバーでタイヤの片サイドを外し、チューブを抜き取る。
そのとき自分の背後で「あぁ・・・」と小さな悲鳴が聞こえた。後ろを振り返ると10台以上の大型トレインが通過していくのだった。その光景を目の当たりにした途端、先ほどまでの落ち着きが吹き飛んでしまった。
くっ、焦る!前後数キロのクラウドの中で自分のペースを作って走るつもりだったのに、下手すりゃいきなり最後尾を必死で走るハメになりかねん!
小さな悲鳴は、おそらくこの雨の中パンクした僕を見てのことだろう。僕もパンクしている人の前を通過するとき、「うぅ・・」「んーー」なんて声が出ているもの。
うーむしかし、パンクそのものよりもクラウド作戦がいきなり破綻する方が痛いぞマジで。といってここできちんとパンクの原因を突き止めておかなければこの先が危うい。608kmのコースのうち、まだ34kmしか走っていないのだ。
かつてメッセンジャーだったときはパンクしてから10分弱でチューブ交換とポンプでの空気の入れ直しを終えて復帰したことがあったが、ここはもっと慎重にいかねば。でも焦る。でも慎重に。でもやっぱり焦る!いや落ち着け!
That's life.That's life.That's life......
トリノ五輪の女子フィギュアスケートで、二日目のフリープログラムでミスをして金メダル(金メダルは荒川静香選手)を逃してしまったロシアのイリーナ・スルツカヤ選手は、インタビューに笑顔で「That's life.」と答えたという。これも人生、というような意味らしい。
いや、すんません。ブルベはただの遊びです。僕はアスリートじゃないし、趣味の自転車乗りに過ぎません。別に人生かかってねぇし、いくら何でもThat's lifeは言い過ぎだし失礼だろう、ホンマすんません、とか考えながら作業する。
パンクしたチューブに空気を入れ直し、パンク箇所を探す。しかし降りしきる雨のせいで、プシューーーーと空気が漏れる音がなかなか聞こえてこない。もっと圧を加え、ようやく音が聞こえてきた。音が聞こえるあたりを探し、穴を発見。この小さな小さな三角形の穴が憎いっ。
そうしている間にも自分の背後を続々とブルベ参加者が通過していく。10台以上のトレインが再び通り過ぎていく。うーむ、これはつらい!
今度はそのチューブをタイヤの外周にあてがい、パンク箇所と思われるあたりのタイヤの内側を捜索する。タイヤの内側一周全部を探していたら時間ばかりかかってしょうがない。だからパンク修理のときも、タイヤをリムから全部外したり、回転方向にズラしたりはしないのだ。
何か異物が刺さっていないか、異物は・・・・。しかし、何も見つからない。見つからない!何が原因なんだー!仕方ないのでこのままチューブ交換することにした。もうこれ以上この場所に留まっているのはカンベンだ。背後を通過するブルベ参加者は誰もいない。まさか本当に最後尾か?
予備チューブとタイヤをはめ直し、そしてポンプでシャコシャコシャコシャコと空気を入れ直す。くー、ツライのぉ、何回シャコシャコすればいいんだちくしょう。しかも手動では7気圧ちょっとまでしか入らない。ロード用タイヤで7気圧かよ・・・・。もっと膨大な時間をかければ8気圧まで入れられるのだが。
後輪を入れ直し、荷物を再パッキングしようとしたところで、いかにも走り慣れていそうな5騎ほどのトレインの一人から声がかかる。「大丈夫ですカー!」「大丈夫大丈夫!」笑顔で答える。たかがパンクである。自転車走行中のトラブルではいちばんの初級編だ。
再び自転車をかついでサイクリングロードに上がり、出発。
何人かソロの参加者を追い越すが、集団からは完全に外れてしまった。といってちょっとぐらい急いだところで前の集団に追いつけるはずがない。何だかんだで30分近く(後でGPSのログを見たら26分だった)もその場に留まってしまったのだ。いきなりクラウド作戦が破綻してしまった。単騎で行くのかよ。このハンデをどこで取り返すか・・・そのことばかりを考えていた。
事前の計画では、要所要所で到着予定時刻と休憩時間、出発予定時刻を決めていた。そして制限時間40時間のところ、39時間ぐらいでゴールするつもりだった。タイムアタックではなく、トラブルに備えた1時間のマージン。なのに序盤でいきなり30分近くの遅れ。仮眠を削るか、終盤の下り基調のところで激走して詰めるか。予定通り走る「仮想自分」には、この2つのポイントでしか追いつけそうにない。その後半までは、計画通りのペースで行くしかない。序盤で足を使わないようにとブリーフィングのときも説明があったじゃないか。
サイクリングロードと一般道が交錯するところで、先ほど声を掛けられた5騎のトレインの人たちが停まっていた。何かトラブルだろうか?自転車をチェックしている。
ここはサイクリングロードをトレースしたくなるポイントだが、実は一般道に乗り換えるのが正しい。「こちらがルートですよー」と、そのトレインの中の一人が誘導している。最後方を走っているにも関わらず他の人に声を掛けるその余裕。最後方の巡回サポートトレインのつもりで参加しているのだろうか?それともスタッフの方々だろうか?(ブルベはボランティアによる運営で、スタッフ=参加者でもある)・・・ブルベ全体が見通せているというか、懐の深さを感じるトレインだった。
そしてパンクしていたときに声を掛けてくれた余裕氏はじめ、このフトコロトレインとは、後半にも遭遇することになる。
No.14の複雑な交差点。一般道から利根川のサイクリングロードに入るところだ。ブリーフィングで図解入りで説明があった箇所。しかし・・・・あれれ?サイクリングロードへの入口を過ぎてしまったのがGPSでも分かる。立体方向にも複雑に入り組んでいるのでGPSだけでは分かりにくい。コマ図も頭に入れてきたつもりだったが・・・。
もう一人、ロードに乗った中年女性が迷っているところに出くわした。見ると、2月の200kmで終盤抜きつ抜かれつ一緒に進み、最後にハンガーノックになってしまった僕に「ガツガツ食べなきゃだめじゃない〜」と言ってくれた(そして以降のブルベで、僕はこれまで以上にガツガツ食べるようになった)、あのときの蛍光ジャージ女史じゃないか。今日は蛍光ジャージではないけれど。
僕はとりあえず反対側に渡り直し、元来た道を登り返すが、蛍光ジャージ女史は別なところを探索しようとしていた。元来た道を登り返すと、先ほどのフトコロトレインの人たちがいた。
土手の上を走り、そして河川敷に下りようというところで、蛍光ジャージ女史が土手の外でまだ迷っているのが上から見えた。みんなでオーイと手を振り、正しいルートを知らせる。蛍光ジャージ女史も気がついてこちらに向かってくるようだった。
河川敷内のドロドロのサイクリングロードを、フトコロトレインの後に付いて走る。「これ、さっきの場所よりもわかんねぇよな〜」と余裕氏の声が聞こえる。僕もフトコロトレインがいなかったらヤバかったかもしれない。
途中で、橋の下でパンク修理をしている人がいた。ウームここにもパンク被害者が・・・。ここでもフトコロトレインからの声掛けが飛ぶ。
やがて河川敷から土手に登り、フトコロトレインとの車間距離がジワジワと開いていく。やっぱり走力に格段のちがいがあるよな。途中で早くもお腹が空いてきたので、停車してミニ羊羹を食べる。別に好きな食べ物ではないけれど、カロリー補給と手頃な大きさから、今回もやはり携行することにしたのだった。
その間に蛍光ジャージ女史に追い抜かれ、以降、蛍光ジャージ女史を追い抜いたり抜かれたりしながら走る。登り基調のところでは僕の方が速く、平坦路・下りでは蛍光ジャージ女史の方がはるかに速い。
利根川を離れ、古河市内を北上。この頃には雨は止んでいた。信号待ちのときにお話する。「私、600km走るの初めてなんですよねー。まだ300kmまでしか走っていなくて」「ええっ!400走らずにいきなり600ですか!」「400はエントリーできなかったの。先に600走っておいてSRにリーチをかけようと思って。かなり大冒険なんですよね。それで9月の1000kmに挑戦したいんですよね」
うーむ、蛍光ジャージ女史、その風格と余裕からブルベのベテランだと思っていたけれど、そうではなかったのか。こりゃ驚いた。「先月千葉で400kmを走ったんですけど、400のときは眠気がすさまじかったですよ。今日も仮眠できるかなぁ〜」と僕。今回も、600kmという距離よりも、眠気をどうするかが僕は心配だった。
青になった。ほどなく、当初考えていたのよりも10分以上遅れて64kmのPC1に到着。まだ他の参加者もPC1に留まっており、僕も完全に落伍したわけではなさそうだった。パンクで30分近く留まっていたところを10分差まで縮めたのだから、上出来か。ならばちくしょう、なおさらあのパンクがなければ!!
しかし、やはり差を詰めるべくいつの間にか頑張ってしまっていたようで、ちょっと疲れが酷い。サンドイッチなどの食べ物を多めに買ってほおばりつつ、空が晴れてきたので雨装備を脱いでいく。一口食べてはモグモグしながらレインウェアを脱ぎ、畳み、口の中の物がなくなりかけたらまた食べるのくり返し。食べながら作業するのがポイントで、食べるだけとかレインウェアを畳むだけという風にしていたらあっという間に時間が過ぎてしまうのだ。
すっかり浸水したネオプレングローブもしまい、ビニル袋に入れておいたフルフィンガーのグローブを取り出す。ここからは晴れモードでGOだ。
それにしてもパッキングに時間がかかるよな・・・ストレッチもちゃんとやっておかないと。そんなこんなで、ここは当初の予定では10時半に出発するはずだったが、結局10時55分頃になってしまった。またまた25分のビハインド。蛍光ジャージ女史はじめ、ほとんどの参加者はもう行ってしまった。
小山市、栃木市を北上し・・・・そしてお待ちかねの日光杉並木!日光例幣使街道に突入するのだった。ここではPDAタイプのGPSを取り付けた赤ジャージ氏と、先ほどの蛍光ジャージ女史と抜きつ抜かれつになるのだった。
ところどころにアップダウンはあるが、全体的に登り基調。そして登りでは僕の方が速いので、いつの間にかバックミラーから蛍光ジャージ女史の姿が消えていた。
この杉並木はとても楽しみにしていた。途中停車して、今回のブルベ走行中唯一となる写真を、携帯電話のカメラで撮る。この街道は、初めてママチャリ以外の自転車(GIANTの廉価版MTB)で日光まで旅行に出かけた帰りに通った道だ。もう9年も前のこと。あのときは日光から自宅までの約180kmを13時間かけて帰ってきた。180kmというのはその後何年間も自分の一日最高走行距離だった。そして今日走ろうとしているのは608km。同じ人が走っているとはとても思えない。
では当時よりもパワーアップしたのか?・・・決してそんなことはない。当時は怖い物知らずで、行く先に峠があるのかどうか、今日は何km走ることになるのか、そんなことはまったく気にしていなかった。ただ行く先を決め、そこまで行くだけだった。そもそもツーリング用に廉価版MTBを買う前は、ギアのないママチャリの前かごにリュックを入れてツーリングしていた。無知がゆえの強さ。持っている装備だって、自転車をはじめ、今よりもはるかに安物だった。
今では途中に難所はあるかどうか、宿に着くのは何時になるのか、途中で補給ポイントがなかったらどうしよう・・・などと、心配ばかりしている。つまり打たれ弱くなっている。その一方で心配だからこそ備えができるとも言える。
クルマもあまり通らず、快適な杉並木。雨が上がって晴れてきて、蒸し暑くなっていたが、杉並木のトンネルの中の空気はさわやかだった。それに、もうスギ花粉の季節じゃないし。
その楽しい杉並木を通り抜けて、今市で大谷川を渡る。いつの間にか標高400mほどまで登っており、この先も鬼怒川に沿って長い長い登りが続く。
そして14時40分頃、137kmPC2に到着。14時半に着くつもりだったのでまだ10分ほどのビハインド。ここでライジン氏に再会。ライジン氏も途中何人ものパンクを見かけたらしく「今日はパンク多いよねー」と言う。
ほどなく蛍光ジャージ女史もPC2に入ってきた。顔を赤くして暑そうだ。しかし蛍光ジャージ女史は、短時間で休憩を切り上げ、あっという間に出発していった。訊いてみると「ここまで来る途中、もう休んできたから」だそう。そしてPC4を過ぎた後の健康ランドで、仮眠する時間を多く取りたいのだと言う。
それにしてもこれまでのブルベではもうちょっとPCで重なる人数が多かったと思うが、今回の600kmでは先に進むにつれどんどん人数が減っていく。400kmまでのブルベよりも、参加者のレベルが高いからだろうか?
このPC2はレシートチェックだが、それとは別にここまでたどり着けたかどうかをスタッフの方がチェックしていた。そしてこの先、PCではないけれど次のPCまでの130kmの間にコンビニは一軒しかないので必ずそこで補給しておいて下さいと言われた。うむ、それは事前のコースの予習でも把握済みだ。
ライジン氏も出発し、後には遅いグループだけが取り残された。そこへ入ってきたソロの男性。休憩中に携帯電話をいじっている。「それ、天気予報ですか?」予報結果を教えてもらおうと思った。「いや、ちがいます」「あ!ブログで実況中継ですか」「そうです!」
うーむ実況中継か。元気だよなぁ。僕もブルベの300kmまではやっていたけれど。もうムリ。しんどい。文字打てないし、漢字変換もしんどい。そもそも時間がない。買い物、食事、トイレ、ストレッチ。PCではやることがたくさんある。そしてここでは、サイクルタイツのパッドと内股に、再びアソスのシャモアクリームを塗り直しておくことにした。
当初20分休憩のつもりが、40分近くも休んでしまった。途中の走行で差を詰めても、休みすぎて結局パンクで遅れた分を取り返せない。そしてまずいことに、鬼怒川までは足を使わないという方針だったのに、やはり知らず知らず頑張ってしまっていたのか、思ったより足が削られているのだった。何もかも予定から遅れている。
とはいえ最後の最後まで想定通過時刻を設定してキューシートに書き込んであるので、ただ闇雲に走るのではなく、この想定時刻から何分遅れというのをここから先でもずっと意識して走ろうと思う。完全に想定時刻を無視してしまったら垂れ放題に垂れてしまう。
予定より30分遅れで再スタート。出る間際に実況中継氏に「たぶんこの後何度も会うと思います!」とご挨拶。実況中継氏は自分で「いや、遅いんで」と答えていたが、僕も遅いんで。そして本当に、実況中継氏も僕にとって恩人となるのだが、それが明らかになるのはここから18時間後のことだった。
鬼怒川沿いに登り続け、川治温泉を通り過ぎる。8年前、就職後初めてのボーナスで買ったランドナーのデビューで走ったのがこの道で、川治温泉では川沿いの露天風呂に入り、そして夜はテントで寝たのだった。温泉入っていきたいよなぁ・・・。
五十里(いかり)ダムで傾斜がきつくなり、いくつかトンネルを越え、キリキリキリと会津西街道をフロントインナーで登っていく。峡谷がどんどん深くなっていくが、実はこんなところにも鉄道が通っているのである。東京の浅草からの東武線直通列車、野岩鉄道会津鬼怒川線(会津鉄道会津線直通)。大学生の頃、このローカル列車に乗って、大学が持っていた会津田島の寮まで、毎冬スキーをしに遊びに行っていたのだ。何かと自分に縁がある今回のコース。だからこそ、翌週の千葉600kmではなく、今回のアタック会津に参加したのだった。
2時間ほどのダラダラとした登りを終え、ようやくピークの山王トンネルにたどり着いた。標高はいつの間にか860mぐらいまで達していた。時間は17時24分。おお、予定では17時20分のつもりだったから、5分差まで差を詰めたぞ!
ここは復路でも通るヒルクライムだから、GPSにウェイポイントを転送し忘れていた分、ここであらためてウェイポイント登録しておこう。
山王トンネルは、トンネルの中ですでに下りが始まる。そして山王トンネルの向こう側は、8年前の記憶では長いダウンヒルのはずだったが、傾斜が緩やかでそれほどスピードが出ない。ダウンヒルというより下り基調だ。570mほどのところまで下りてくる。
そして予定より10分遅れで、18時過ぎに次のPCまでの最後のコンビニであるセブイレブン会津田島新町店に到着。191km。ここでもしっかり補給し、そしてサイクルタイツのパッドと内股に、シャモアクリームを塗り直しておく。ここでもライジン氏に再会。ライジン氏は走るのが速いはすだが、最後尾グループの僕らと休憩が重なる。速く走ってたくさん休憩。とても理想的な進み方だと思う。僕は走るのが遅いのにたくさん休憩。ハッキリ言って後になるほど苦しくなるパターンだ。
そしてここでも休憩時間が重なる人は、さらに少なくなるのだった。スタッフの方によると、今の時間でここにいる人たちはもうほとんど仮眠を取れないだろうとのこと。そして600kmでは、寝る時間を稼ぐべく、400km以下のときよりもハイペースになるのだという。
ここでも休みすぎた。20分休憩の予定が、なんと40分近くも休んでしまった。ただボーっと休むのではなく、何やかやと用事を済ませていたと思うのだが。そしてどんどん日が暮れて、空が暗くなっていくのだった・・・・。
■暗闇の中のヒルクライム、夜間のガマンの走り、そして別れ。
ここでもスタッフの方からこの先の道について解説があった。今回のブルベのメインとなる峠の舟鼻峠は約10km、平均5〜6%の登り。ピーク地点はスタートから約202km地点のはず。キューシートのNo.には出てこないが、峠のピークはすべてキューシートに挿入しておいたのだ。ここさえ終われば前半の山場は終了だ。がんばっていこう。予定より30分遅れで出発。
覚悟はしていたが、本当に真っ暗闇の中でのヒルクライムになってしまった。左ハンドル下のキャットアイHL-520×1、右ハンドル下のKingpower K2×1、前輪ハブ軸のキャットアイHL-520×1、ヘルメットのキャットアイTL-LD260-F、そして後部やヘルメットの赤LEDをすべて点灯。前方の暗闇を照らし出す。角度の調整がうまいこと決まり、やや遠く・やや近く・そして地面のすぐ近くといい具合に照らせている。それにしてもメーターの進みが遅くて遅くて、いったいいつになったら登り終わるんだウォ〜!
予定より30分遅れのまま、峠のピークらしき場所に到達。ミニ羊羹と水を口にし、息を整える。そのとき後ろから迫ってきた一台のクルマ。僕の横で停まり、中から「この先もう少し行ったところがピークですよ−」と言われた。あ、スタッフの方のクルマだったか!え!?ここがピークではないのか〜〜。
さらに何百メートルか進み、ようやく舟鼻峠の本物のピーク。先ほどのスタッフのクルマが停まっていて、「ここが地図上のピークです」と教えてくれた。標高570mから登り始めて、ピークは1040mぐらい。今回のブルベは距離だけでなく獲得標高も多い山岳コースだ。
この先はロングダウンヒル。3灯点灯のまま、猛スピード・・・は危険なのでやや猛スピードで下っていく。思わず肩に力が入ってしまう暗闇のダウンヒル。ガードレールがないコーナーもあるそうなので余計に気をつけねば。ダウンヒルなのにちっとも楽しくない。
長い下りを終えて、野尻川沿いの集落をいくつか通り抜けている最中、またもや雨が降ってきた。時間は夜9時過ぎ。すぐやむかな・・・・と思って、いいペースを崩したくなかったのでそのまま停まらずに走り続けるが、降りが強くなってきた。くっ、また雨かよ!今日の午前中だけじゃないのかよ!しかも霧が出ているのか、あたりは白く曇っていて先が見えにくい。ライトの照射の軌跡が前に伸びているのが見える。次に軒下を見つけたらそこでレインウェアを着込もう。
そして会津中川のとあるシャッターの下りた建物の自販機の前で、再びレインウェアとネオプレンのグローブを取り出す。グローブを2つ持ってきているのは、防水グローブで手を濡らさないためではなく、雨が上がったときに濡れていないグローブに交換するためだった。それにしても脱いだり着たり、この時間のロスも後で効いてくるにちがいない。めんどくせぇなぁ・・・
着ているうちに、雨の降りが強まってきた。降り方を見たらむしろ今日の午前中よりも降りがひどい。やはり停まって正解だった。そこへ再びスタッフのクルマが追いついてきて、「たぶん通り雨だと思うんだけれどねぇ」と言われる。通り雨でも、この降りの強さではレインウェアを着ざるをえない。今回は徹底的に雨を嫌っていくつもりなので(特に下半身。濡れると肌がふやけて、股ずれやケツずれの進行が早まる)、横着せずにシッカリ着込むのである。
再出発し、只見川沿いに出るが、真っ暗で川なんかちっとも見えない。明るかったら山奥のリバーサイドラインで気持ちいい景色が広がっているんだろうけれど。
この只見川沿いにはJR只見線が走っている。冬は雪が何メートルも降り積もる豪雪地帯だ。これぞローカル線という風情の只見線には2回ほど乗ったことがあり、一昨年の冬、18きっぷの鉄道旅行では一面真っ白な車窓の風景を眺めていた。
その前は1999年、ゴールデンウィークの旅行でやはり鈍行列車で出かけ、只見川近くの沼沢湖の民宿に泊まったことがあった。作家の椎名誠が監督を務める映画「あひるのうたがきこえてくるよ。」のロケ地となったのが沼沢湖。映画に出てくる景色を探し求め、村や湖近くを歩き回ったものだ。作風が丸くなってからの彼の作品は読んでいないが、中学から高校、大学生の頃にかけて椎名誠にはずいぶん熱中しており、60冊ほどの著書を読んだことがある。サインをもらったり握手してもらったりと(手が分厚くて大きかった)、かつてはたいそう傾倒したものだ。
・・・そんな電車旅行で訪れた場所に、今日は自転車で自走してきているから不思議だ。ランドナーでの初旅行は輪行を利用しており、そのときも「まさか自転車で来ようとは」と思ったが、今回は自宅から前泊の宿を経て、ここまで一気に自転車の線がつながっているのである。当初このコースが発表されたときはこんな山中含めて600kmなんてありえない!と思ったが、参加して本当によかった。何か自分に縁があるコースだからこそモチベーションが保てる。
只見川沿いは絶えずアップダウンが続き、トンネルやスノーシェイドが連発する。いつものツーリングでトンネルやスノーシェイドに出くわすと勘弁してくれよと思うが、真っ暗な中走っていると、灯りのついているこれらの難所も癒しのポイントになるのだった。
そんなトンネルの一つの中で、二人組のブルベ参加者が停まっているのが前方右側の歩道の上に見えた。一人は自転車をひっくり返しており、もう一人は歩道の上に仰向けになって横になっていた。なんだ!?と思って近づいてみると、一人はパンク修理、もう一人は仮眠だった。この時間で仮眠とは、かなり疲れが来ているのだろうか?
その後もトンネルとスノーシェイドのくり返し。そしてまた別なトンネルで、出口近くの歩道にまた一人停まっているのが見えた。地面に座って自転車をいじっている。ここにもパンク被害者が・・・と思ったら、はるか先を行っているはずだったライジン氏だった!なんとタイヤがバーストしてしまったらしく、直しているところだった。
「穴ふさげましたか?クリアファイルとか・・・」と僕。ライジン氏は「こういうときには千円札って言うじゃん」とのこと。千円札は意外に強度があり、非常時に役立つと、たしか米津一成さんの最新刊「ロングライドに出かけよう」にも書いてあった。ライジン氏はほとんど修理を終え、これからタイヤをセットし直すところのようだった。ライジン氏の脚なら、またじきに追いついてくるだろう。僕だけ一人で先行することにする。
雨はもう止んでいたが、いつまた降り出すか分からないのでレインウェアは着たままだ。このまま次のPCまで着たままでいいだろう。この先の天候がサッパリ読めない。
会津宮下で只見川を離れ、ここからは再びヒルクライム・・・に入る前に、ヒルクライムへの分岐点No.37で、日光杉並木でところどころ一緒だったPDA型GPS付きの赤ジャージ氏、そしてもう一人ソロのロード女史が停まっていた。はて、分岐のどちらだ。分岐の又になっているところで、オレンジ色の街灯の下でGPSとキューシートを見直す。「橋を渡らないと書いてありませんか?」と赤ジャージ氏。おお本当だ、道なりに進んでいたら思わず橋を渡ってしまいそうになる。あぶねぇあぶねぇ。また何百メートルかズレてから戻るハメになるところだった。赤ジャージ氏とロード女史は、後続の人を案内するために停まってくれていたのだろうか?
またしても暗闇の中へ突撃。三人でライトを前方に集中させるようにして進んでいく。自分だけのライトで進むよりも走りやすい。登りがきつくなり始めたところで脚がそろわなくなり、僕だけインナー×インナーで先行。何人かを追い越し、ピークで休憩。ミニ羊羹と水。そしてクエン酸&BCAAドリンクも。
日向倉山西側のこの名もなき峠、想定外に消耗してしまった。名もなき峠というのはあまり覚悟ができていないから、傾斜以上にこたえるものだ。登り始めてから、何だかんだで200m以上登っている。
国道49号まで駆け下り、予定よりも20分遅れで271kmのPC3(西会津)に到着。
ここは有人チェックなのでスタッフのワゴン車前の受付へ。スタッフの前のテーブルには名簿が広げられており、参加者一覧のマス目には、ここまでのPCのレシートの時間と、このPC3での時間が記入されている。
ここでアッ!となった。
ライジン氏の欄に「DNF」と書かれていた。何ということだ。バーストは直ったんじゃなかったのか。ライジン氏は前回の埼玉600kmでもDNFで、今回が再チャレンジだったはず。そういえばバースト地点からここまで結局ライジン氏に追いつかれることはなかった。うーむ悲しいぞ、これは。知っている人が離脱してしまうのはとても寂しい。
コンビニで買い物をし、トイレを済ませ、カップラーメンを食べているとき、駐車場でライジン氏と再会。「名簿でDNFって見ましたよー。バースト直ったんじゃなかったんですか?」「え?もう名簿って出ているの?結局あの後またすぐ何度もバーストしちゃったんだよね」・・・バーストは完治しなかったらしい。
たしかに千円札にせよクリアファイルの小片にせよ、あくまで応急処置に過ぎない。通常のタイヤとしての耐久性は戻らず、本来ならタイヤを交換するべきところだろう。ではタイヤの予備を持って行けばいいのかというとそうとも限らず、リスクに見合わない斤量増加は、これまた完走を危うくする要因だったりするから難しい。要するにブルベの準備で絶対的な正解など存在しないのだ(今回、序盤でランドナーに両サイドバッグをぶら下げて参加している人も見かけた)。
この先も難所はまだまだ続くし、そもそもまだ全コースの半分も消化していない。撤退できるうちに撤退するというのは、残念ではあるけれど、リスクマネジメントの観点からは賢明な判断だと思う。本当に進退窮まれりという状況になってから右往左往するようでは遅い。
ブルベで何を重視し、何を捨てるか。それは各人が自分の力と相談して決めるしかない。誰か他の人に質問をしてアイデアをもらえたとしても、それが自分にとっての最適解かどうかはまた別で、あくまで選択するオプションが増えるだけという話だ。
たとえば今回、いや今回に限らず僕はブルベに輪行袋を持ってきたことはない。家から完全往復自走することがポリシーであり、タイムアウトになろうと何だろうと自力で走って帰ることを揺るがせるつもりはないからだ。「もうやめちゃおうかなぁ〜」という気持ちを完封するのだ。
でもフレームを縛るためのストラップやガムテープ(古いテレカなどに数メートル分だけ巻き取ってコンパクトにする)、70Lの大型ゴミ袋数枚だけは持ってきている。心理的にではなく、フレームが折れたとかクランクが折れたとか、その他物理的に走行不能になったときの最低限の備えだ。
そもそも輪行袋を持っていたからといって、それが役立つのは鉄道や公共交通機関の路線の近くにいてこそ。たとえば誰も通らないような真夜中の峠でリタイアしたとき、自転車を輪行袋に詰めて、それでどうすればいいというのか?結局そこから駅なり集落なりまで自転車を担いで歩かねばならない。
そう考えると、東京の多摩サイや荒サイ、尾根幹で自転車がつぶれても、福島県の山中で自転車がつぶれても、輪行袋を持っていても駅までが遠ければ結局はしんどいことに変わりない。
考えようによっては、撤退のしやすさを考えるなら、クリートが地面に当たらないMTB用SPDシューズを履いていく方が、輪行袋を持って行くよりもよっぽど貢献度が高い。たとえば「タイムのロード用ビンディングシューズ+輪行袋」と、「MTB用SPDシューズ+70Lゴミ袋とストラップ・ガムテープ」を比べれば、後者の方が撤退が容易だと思う。
といってもこう言い切るのはあくまで僕一人の見解に過ぎず、異論もいろいろあると思う。ならば各人、それぞれの備えで参加すればいいだけのことだ。解が一つではない・・・これはまちがいなくブルベのいいところだと思う。
さて、ここPC3は、距離としてはまだ半分以下だが、心理的には折り返しポイント。そしてここから夜通し東に向かって会津若松・猪苗代・郡山と走り、郡山の仮眠ポイントで何時間寝られるかが完走の分かれ目だと見ている。
ここでは大休止で30分のつもりが、なんと50分以上も休んでしまった。もちろん休むだけではなくレインウェアをしまったりサイクルタイツにシャモアクリームを塗り直したり、チェーンに注油したりといろいろやることがあるのだが、さすがにそろそろ出かけなければ。
休んでいる間に、最後尾グループが少しずつPC3に追いつき始め、人数が増えてきたが、たぶん自分も含め、このグループは仮眠時間はほとんど取れないだろう。少なくとも3時間とか4時間とか、まとまった量は寝られないはず。休んでいるグループの中には、先ほどの実況中継氏の顔も見える。
そして、まだ残っている人たちは「この先健康ランドはもう素通りして、その先の公園のペンチとかで寝るしかないんじゃないか?」というような相談をしていた。
うーむ、それで寝られるのだろうか?眠気を飛ばせるのだろうか?眠気をこらえながら蛇行するようなのは今回は避けたい。しかもまた雨が降ったりしたら最悪だ。どれだけ短時間でも、寝るなら屋内で横になって寝たい。健康ランド以外でそんな都合よく横になれる場所が現れるかどうかは分からない。そしてそういうところで寝られるほど自分がタフだとも思えない。
健康ランドに寄るつもりのない彼らとは一緒には走らず、ここは一人で先へ先へと突出した方がよさそうだった。よし、ハラは決まった。
時間は夜中の0時10分。次のPC4までは76km。仮眠ポイントの健康ランドまでは77km。予定では健康ランドには4時に着いて6時に出発するつもりだったが、ちとしんどい。77kmを4時間切る速さで進むのは、この先のアップダウンや、猪苗代湖に向けてのヒルクライムを考えれば無理そうな感じだ。PC4および健康ランドに何時に着こうとも、6時に出発する。それまでの睡眠時間を稼ぐためにPC3からPC4まで垂れずに走れるかどうか、ここから先の数時間がカギ。
そして単騎、PC3を後にし、国道49号を東へ向かって走り出す。
前にも後ろにも誰もいない。ライジン氏はリタイアした。前後数kmのゆるやかな集団の中でペースを作ろうというクラウド作戦はとっくに破綻している。いろいろなことが事前のプランとはズレている。それでも今はとにかく先に進まなければならない。
(つづく)
■降りしきる雨、覚悟を決めてスタート。
朝5時過ぎ起床。コンビニで買い込んでおいた朝食を食べ、念入りにストレッチ。サイクルタイツのパッドと自分の内股にアソスのシャモアクリームを塗り込む。その上に七分丈ズボン、MEDALIST CLUBの薄型長袖インナーウェア、そして夏用長袖サイクルジャージ。5月の400kmではCW-Xの長袖と、半袖サイクルジャージの組み合わせだったが、今回は夜中の福島県の山中を走るということで、防寒を考えて長袖二枚を選んだ。
Sugoiのシューズカバーを履き、ネオプレンの半防水グローブも着用し、チェックアウト。ブルベで積まない荷物はリュックに入れてフロントに預けておく。後泊するとはいえ、今日の夜は走り通し。この宿に泊まるわけではないので、連泊ではなくチェックアウトなのだった。
雨の神根運動場に到着。雨である。エントリーした時点では雨ならDNSとか考えていたはずなのに、ナゼか会場に居る。今年4本目のブルベのうち、これで3本までもが雨かよ。早速受付を済ませ、ブルベカードを記入。そしてオダックス埼玉が開発したブルベ専用蛍光ジャケットADX-Vを購入(1600円)。これまで使っていた警備員用ジャケットとはおさらばだ。
ブリーフィング開始。鬼怒川までの約100kmは平坦な道が続くけれど、ここで足を使わないように。その後ずーっと登りが続きます・・・という説明。そしてNo.14のややこしい交差点からサイクリングロードへの移り方についても注意。
車検を終え、次々に参加者たちがスタートしていく。200、300kmのときは人数が多かったので多段階スタートだったが、今回は全員午前7時の回だ。千葉400kmのときにお世話になったライジン氏ともこのとき再会した。ライジン氏の方が出るのが早く、走るのも速いので、たぶんPCでしか会えないだろう。
前回の400kmまでは、トレインから外れるためにあえて最後の方からスタートしていたが、今回はトレインではなく単騎でもなく、前後数キロの集団を意識しながら走る「クラウド作戦」で進むことにしていたので、僕も早いうちにスタートする。
そしてスタート直後に・・・GPSに、曲がり角や峠のピーク、PC(コントロールポイント:point de controle)やその他の休憩候補地を打ち込んだウェイポイントを転送するのを忘れているのに気がついた!なんてこった。あれだけ綿密にコースについて予習したのに。走行予定のトラックだけは転送していたのでコースのトレースはできるが、特に峠のピークが見えないのは痛い。ウェイポイントは前泊用の宿しか転送していなかった。何たるイージーミス。でもまあ今となっては仕方ない。
序盤はこれまでのブルベで何度も通った市街地。越谷市内を通り抜け、北西へと進む。途中でシートステーに「MADE IN U.S.A.」と書かれた黒いキャノンデールのロード氏の後ろに付いてトレイン状態に。速いトレインに付いていくのは激しく消耗する原因になるので避けたいところだが、今はスピードが同じなのでこのままでいいか。
しかし黒キャノ氏は途中のコンビニに立ち寄るようだった。うーむ、自分が先頭か・・・。後ろは気にせずマイペースで進む。ちなみにこの黒キャノ氏が今回僕にとっての恩人となるのだが、それが明らかになるのは25時間後のことだ。
江戸川を渡り、野田市から江戸川のサイクリングロードに乗る。雨は本降り。しかも吹きさらしの向かい風。自転車で走るにはしんどい状況だが、信号などがないので、旅行速度が巡航速度に近づき、それなりにいいペースで進めている。
そういえば小学生の頃に流山市に住んでいた僕は、小6の卒業後に親の転勤で遠くに引っ越すことになったのだが、最後の春休み、友人たちと野田市内の清水公園まで自転車で出かけたことがあった。そのときもこのサイクリングロードを通ったはず。
やがて関宿町に入り、ある交差点を通って再びサイクリングロードに入ったところで突然後輪が柔らかくなった気がした。後ろのタイヤを振り返ると、圧は抜けきっていないものの、タイヤがへこんでいた。
ぱぱぱぱ、パンクかよ!!サイコンを見るとまだ34kmしか走っていない。なんてこった!いや落ち着け。これまでパンクは何度も経験してきた。ブルベ300kmのときにサイコンのセンサーとライトをフロントホイールで吹き飛ばしてしまった事故に比べれば、普通にありえることだ。落ち着け。いやすでに落ち着いている。落ち着いているぞ。「バカな。私は冷静だ」と言ったのはザビ家の末っ子ガルマ・ザビである。
自転車をかついで土手を下り、サイクリングロードから一段下りた側道のガードレールにハンドルとペダルを引っかけ、後輪を外す。タイヤレバーでタイヤの片サイドを外し、チューブを抜き取る。
そのとき自分の背後で「あぁ・・・」と小さな悲鳴が聞こえた。後ろを振り返ると10台以上の大型トレインが通過していくのだった。その光景を目の当たりにした途端、先ほどまでの落ち着きが吹き飛んでしまった。
くっ、焦る!前後数キロのクラウドの中で自分のペースを作って走るつもりだったのに、下手すりゃいきなり最後尾を必死で走るハメになりかねん!
小さな悲鳴は、おそらくこの雨の中パンクした僕を見てのことだろう。僕もパンクしている人の前を通過するとき、「うぅ・・」「んーー」なんて声が出ているもの。
うーむしかし、パンクそのものよりもクラウド作戦がいきなり破綻する方が痛いぞマジで。といってここできちんとパンクの原因を突き止めておかなければこの先が危うい。608kmのコースのうち、まだ34kmしか走っていないのだ。
かつてメッセンジャーだったときはパンクしてから10分弱でチューブ交換とポンプでの空気の入れ直しを終えて復帰したことがあったが、ここはもっと慎重にいかねば。でも焦る。でも慎重に。でもやっぱり焦る!いや落ち着け!
That's life.That's life.That's life......
トリノ五輪の女子フィギュアスケートで、二日目のフリープログラムでミスをして金メダル(金メダルは荒川静香選手)を逃してしまったロシアのイリーナ・スルツカヤ選手は、インタビューに笑顔で「That's life.」と答えたという。これも人生、というような意味らしい。
いや、すんません。ブルベはただの遊びです。僕はアスリートじゃないし、趣味の自転車乗りに過ぎません。別に人生かかってねぇし、いくら何でもThat's lifeは言い過ぎだし失礼だろう、ホンマすんません、とか考えながら作業する。
パンクしたチューブに空気を入れ直し、パンク箇所を探す。しかし降りしきる雨のせいで、プシューーーーと空気が漏れる音がなかなか聞こえてこない。もっと圧を加え、ようやく音が聞こえてきた。音が聞こえるあたりを探し、穴を発見。この小さな小さな三角形の穴が憎いっ。
そうしている間にも自分の背後を続々とブルベ参加者が通過していく。10台以上のトレインが再び通り過ぎていく。うーむ、これはつらい!
今度はそのチューブをタイヤの外周にあてがい、パンク箇所と思われるあたりのタイヤの内側を捜索する。タイヤの内側一周全部を探していたら時間ばかりかかってしょうがない。だからパンク修理のときも、タイヤをリムから全部外したり、回転方向にズラしたりはしないのだ。
何か異物が刺さっていないか、異物は・・・・。しかし、何も見つからない。見つからない!何が原因なんだー!仕方ないのでこのままチューブ交換することにした。もうこれ以上この場所に留まっているのはカンベンだ。背後を通過するブルベ参加者は誰もいない。まさか本当に最後尾か?
予備チューブとタイヤをはめ直し、そしてポンプでシャコシャコシャコシャコと空気を入れ直す。くー、ツライのぉ、何回シャコシャコすればいいんだちくしょう。しかも手動では7気圧ちょっとまでしか入らない。ロード用タイヤで7気圧かよ・・・・。もっと膨大な時間をかければ8気圧まで入れられるのだが。
後輪を入れ直し、荷物を再パッキングしようとしたところで、いかにも走り慣れていそうな5騎ほどのトレインの一人から声がかかる。「大丈夫ですカー!」「大丈夫大丈夫!」笑顔で答える。たかがパンクである。自転車走行中のトラブルではいちばんの初級編だ。
再び自転車をかついでサイクリングロードに上がり、出発。
何人かソロの参加者を追い越すが、集団からは完全に外れてしまった。といってちょっとぐらい急いだところで前の集団に追いつけるはずがない。何だかんだで30分近く(後でGPSのログを見たら26分だった)もその場に留まってしまったのだ。いきなりクラウド作戦が破綻してしまった。単騎で行くのかよ。このハンデをどこで取り返すか・・・そのことばかりを考えていた。
事前の計画では、要所要所で到着予定時刻と休憩時間、出発予定時刻を決めていた。そして制限時間40時間のところ、39時間ぐらいでゴールするつもりだった。タイムアタックではなく、トラブルに備えた1時間のマージン。なのに序盤でいきなり30分近くの遅れ。仮眠を削るか、終盤の下り基調のところで激走して詰めるか。予定通り走る「仮想自分」には、この2つのポイントでしか追いつけそうにない。その後半までは、計画通りのペースで行くしかない。序盤で足を使わないようにとブリーフィングのときも説明があったじゃないか。
サイクリングロードと一般道が交錯するところで、先ほど声を掛けられた5騎のトレインの人たちが停まっていた。何かトラブルだろうか?自転車をチェックしている。
ここはサイクリングロードをトレースしたくなるポイントだが、実は一般道に乗り換えるのが正しい。「こちらがルートですよー」と、そのトレインの中の一人が誘導している。最後方を走っているにも関わらず他の人に声を掛けるその余裕。最後方の巡回サポートトレインのつもりで参加しているのだろうか?それともスタッフの方々だろうか?(ブルベはボランティアによる運営で、スタッフ=参加者でもある)・・・ブルベ全体が見通せているというか、懐の深さを感じるトレインだった。
そしてパンクしていたときに声を掛けてくれた余裕氏はじめ、このフトコロトレインとは、後半にも遭遇することになる。
No.14の複雑な交差点。一般道から利根川のサイクリングロードに入るところだ。ブリーフィングで図解入りで説明があった箇所。しかし・・・・あれれ?サイクリングロードへの入口を過ぎてしまったのがGPSでも分かる。立体方向にも複雑に入り組んでいるのでGPSだけでは分かりにくい。コマ図も頭に入れてきたつもりだったが・・・。
もう一人、ロードに乗った中年女性が迷っているところに出くわした。見ると、2月の200kmで終盤抜きつ抜かれつ一緒に進み、最後にハンガーノックになってしまった僕に「ガツガツ食べなきゃだめじゃない〜」と言ってくれた(そして以降のブルベで、僕はこれまで以上にガツガツ食べるようになった)、あのときの蛍光ジャージ女史じゃないか。今日は蛍光ジャージではないけれど。
僕はとりあえず反対側に渡り直し、元来た道を登り返すが、蛍光ジャージ女史は別なところを探索しようとしていた。元来た道を登り返すと、先ほどのフトコロトレインの人たちがいた。
土手の上を走り、そして河川敷に下りようというところで、蛍光ジャージ女史が土手の外でまだ迷っているのが上から見えた。みんなでオーイと手を振り、正しいルートを知らせる。蛍光ジャージ女史も気がついてこちらに向かってくるようだった。
河川敷内のドロドロのサイクリングロードを、フトコロトレインの後に付いて走る。「これ、さっきの場所よりもわかんねぇよな〜」と余裕氏の声が聞こえる。僕もフトコロトレインがいなかったらヤバかったかもしれない。
途中で、橋の下でパンク修理をしている人がいた。ウームここにもパンク被害者が・・・。ここでもフトコロトレインからの声掛けが飛ぶ。
やがて河川敷から土手に登り、フトコロトレインとの車間距離がジワジワと開いていく。やっぱり走力に格段のちがいがあるよな。途中で早くもお腹が空いてきたので、停車してミニ羊羹を食べる。別に好きな食べ物ではないけれど、カロリー補給と手頃な大きさから、今回もやはり携行することにしたのだった。
その間に蛍光ジャージ女史に追い抜かれ、以降、蛍光ジャージ女史を追い抜いたり抜かれたりしながら走る。登り基調のところでは僕の方が速く、平坦路・下りでは蛍光ジャージ女史の方がはるかに速い。
利根川を離れ、古河市内を北上。この頃には雨は止んでいた。信号待ちのときにお話する。「私、600km走るの初めてなんですよねー。まだ300kmまでしか走っていなくて」「ええっ!400走らずにいきなり600ですか!」「400はエントリーできなかったの。先に600走っておいてSRにリーチをかけようと思って。かなり大冒険なんですよね。それで9月の1000kmに挑戦したいんですよね」
うーむ、蛍光ジャージ女史、その風格と余裕からブルベのベテランだと思っていたけれど、そうではなかったのか。こりゃ驚いた。「先月千葉で400kmを走ったんですけど、400のときは眠気がすさまじかったですよ。今日も仮眠できるかなぁ〜」と僕。今回も、600kmという距離よりも、眠気をどうするかが僕は心配だった。
青になった。ほどなく、当初考えていたのよりも10分以上遅れて64kmのPC1に到着。まだ他の参加者もPC1に留まっており、僕も完全に落伍したわけではなさそうだった。パンクで30分近く留まっていたところを10分差まで縮めたのだから、上出来か。ならばちくしょう、なおさらあのパンクがなければ!!
しかし、やはり差を詰めるべくいつの間にか頑張ってしまっていたようで、ちょっと疲れが酷い。サンドイッチなどの食べ物を多めに買ってほおばりつつ、空が晴れてきたので雨装備を脱いでいく。一口食べてはモグモグしながらレインウェアを脱ぎ、畳み、口の中の物がなくなりかけたらまた食べるのくり返し。食べながら作業するのがポイントで、食べるだけとかレインウェアを畳むだけという風にしていたらあっという間に時間が過ぎてしまうのだ。
すっかり浸水したネオプレングローブもしまい、ビニル袋に入れておいたフルフィンガーのグローブを取り出す。ここからは晴れモードでGOだ。
それにしてもパッキングに時間がかかるよな・・・ストレッチもちゃんとやっておかないと。そんなこんなで、ここは当初の予定では10時半に出発するはずだったが、結局10時55分頃になってしまった。またまた25分のビハインド。蛍光ジャージ女史はじめ、ほとんどの参加者はもう行ってしまった。
小山市、栃木市を北上し・・・・そしてお待ちかねの日光杉並木!日光例幣使街道に突入するのだった。ここではPDAタイプのGPSを取り付けた赤ジャージ氏と、先ほどの蛍光ジャージ女史と抜きつ抜かれつになるのだった。
ところどころにアップダウンはあるが、全体的に登り基調。そして登りでは僕の方が速いので、いつの間にかバックミラーから蛍光ジャージ女史の姿が消えていた。
この杉並木はとても楽しみにしていた。途中停車して、今回のブルベ走行中唯一となる写真を、携帯電話のカメラで撮る。この街道は、初めてママチャリ以外の自転車(GIANTの廉価版MTB)で日光まで旅行に出かけた帰りに通った道だ。もう9年も前のこと。あのときは日光から自宅までの約180kmを13時間かけて帰ってきた。180kmというのはその後何年間も自分の一日最高走行距離だった。そして今日走ろうとしているのは608km。同じ人が走っているとはとても思えない。
では当時よりもパワーアップしたのか?・・・決してそんなことはない。当時は怖い物知らずで、行く先に峠があるのかどうか、今日は何km走ることになるのか、そんなことはまったく気にしていなかった。ただ行く先を決め、そこまで行くだけだった。そもそもツーリング用に廉価版MTBを買う前は、ギアのないママチャリの前かごにリュックを入れてツーリングしていた。無知がゆえの強さ。持っている装備だって、自転車をはじめ、今よりもはるかに安物だった。
今では途中に難所はあるかどうか、宿に着くのは何時になるのか、途中で補給ポイントがなかったらどうしよう・・・などと、心配ばかりしている。つまり打たれ弱くなっている。その一方で心配だからこそ備えができるとも言える。
クルマもあまり通らず、快適な杉並木。雨が上がって晴れてきて、蒸し暑くなっていたが、杉並木のトンネルの中の空気はさわやかだった。それに、もうスギ花粉の季節じゃないし。
その楽しい杉並木を通り抜けて、今市で大谷川を渡る。いつの間にか標高400mほどまで登っており、この先も鬼怒川に沿って長い長い登りが続く。
そして14時40分頃、137kmPC2に到着。14時半に着くつもりだったのでまだ10分ほどのビハインド。ここでライジン氏に再会。ライジン氏も途中何人ものパンクを見かけたらしく「今日はパンク多いよねー」と言う。
ほどなく蛍光ジャージ女史もPC2に入ってきた。顔を赤くして暑そうだ。しかし蛍光ジャージ女史は、短時間で休憩を切り上げ、あっという間に出発していった。訊いてみると「ここまで来る途中、もう休んできたから」だそう。そしてPC4を過ぎた後の健康ランドで、仮眠する時間を多く取りたいのだと言う。
それにしてもこれまでのブルベではもうちょっとPCで重なる人数が多かったと思うが、今回の600kmでは先に進むにつれどんどん人数が減っていく。400kmまでのブルベよりも、参加者のレベルが高いからだろうか?
このPC2はレシートチェックだが、それとは別にここまでたどり着けたかどうかをスタッフの方がチェックしていた。そしてこの先、PCではないけれど次のPCまでの130kmの間にコンビニは一軒しかないので必ずそこで補給しておいて下さいと言われた。うむ、それは事前のコースの予習でも把握済みだ。
ライジン氏も出発し、後には遅いグループだけが取り残された。そこへ入ってきたソロの男性。休憩中に携帯電話をいじっている。「それ、天気予報ですか?」予報結果を教えてもらおうと思った。「いや、ちがいます」「あ!ブログで実況中継ですか」「そうです!」
うーむ実況中継か。元気だよなぁ。僕もブルベの300kmまではやっていたけれど。もうムリ。しんどい。文字打てないし、漢字変換もしんどい。そもそも時間がない。買い物、食事、トイレ、ストレッチ。PCではやることがたくさんある。そしてここでは、サイクルタイツのパッドと内股に、再びアソスのシャモアクリームを塗り直しておくことにした。
当初20分休憩のつもりが、40分近くも休んでしまった。途中の走行で差を詰めても、休みすぎて結局パンクで遅れた分を取り返せない。そしてまずいことに、鬼怒川までは足を使わないという方針だったのに、やはり知らず知らず頑張ってしまっていたのか、思ったより足が削られているのだった。何もかも予定から遅れている。
とはいえ最後の最後まで想定通過時刻を設定してキューシートに書き込んであるので、ただ闇雲に走るのではなく、この想定時刻から何分遅れというのをここから先でもずっと意識して走ろうと思う。完全に想定時刻を無視してしまったら垂れ放題に垂れてしまう。
予定より30分遅れで再スタート。出る間際に実況中継氏に「たぶんこの後何度も会うと思います!」とご挨拶。実況中継氏は自分で「いや、遅いんで」と答えていたが、僕も遅いんで。そして本当に、実況中継氏も僕にとって恩人となるのだが、それが明らかになるのはここから18時間後のことだった。
鬼怒川沿いに登り続け、川治温泉を通り過ぎる。8年前、就職後初めてのボーナスで買ったランドナーのデビューで走ったのがこの道で、川治温泉では川沿いの露天風呂に入り、そして夜はテントで寝たのだった。温泉入っていきたいよなぁ・・・。
五十里(いかり)ダムで傾斜がきつくなり、いくつかトンネルを越え、キリキリキリと会津西街道をフロントインナーで登っていく。峡谷がどんどん深くなっていくが、実はこんなところにも鉄道が通っているのである。東京の浅草からの東武線直通列車、野岩鉄道会津鬼怒川線(会津鉄道会津線直通)。大学生の頃、このローカル列車に乗って、大学が持っていた会津田島の寮まで、毎冬スキーをしに遊びに行っていたのだ。何かと自分に縁がある今回のコース。だからこそ、翌週の千葉600kmではなく、今回のアタック会津に参加したのだった。
2時間ほどのダラダラとした登りを終え、ようやくピークの山王トンネルにたどり着いた。標高はいつの間にか860mぐらいまで達していた。時間は17時24分。おお、予定では17時20分のつもりだったから、5分差まで差を詰めたぞ!
ここは復路でも通るヒルクライムだから、GPSにウェイポイントを転送し忘れていた分、ここであらためてウェイポイント登録しておこう。
山王トンネルは、トンネルの中ですでに下りが始まる。そして山王トンネルの向こう側は、8年前の記憶では長いダウンヒルのはずだったが、傾斜が緩やかでそれほどスピードが出ない。ダウンヒルというより下り基調だ。570mほどのところまで下りてくる。
そして予定より10分遅れで、18時過ぎに次のPCまでの最後のコンビニであるセブイレブン会津田島新町店に到着。191km。ここでもしっかり補給し、そしてサイクルタイツのパッドと内股に、シャモアクリームを塗り直しておく。ここでもライジン氏に再会。ライジン氏は走るのが速いはすだが、最後尾グループの僕らと休憩が重なる。速く走ってたくさん休憩。とても理想的な進み方だと思う。僕は走るのが遅いのにたくさん休憩。ハッキリ言って後になるほど苦しくなるパターンだ。
そしてここでも休憩時間が重なる人は、さらに少なくなるのだった。スタッフの方によると、今の時間でここにいる人たちはもうほとんど仮眠を取れないだろうとのこと。そして600kmでは、寝る時間を稼ぐべく、400km以下のときよりもハイペースになるのだという。
ここでも休みすぎた。20分休憩の予定が、なんと40分近くも休んでしまった。ただボーっと休むのではなく、何やかやと用事を済ませていたと思うのだが。そしてどんどん日が暮れて、空が暗くなっていくのだった・・・・。
■暗闇の中のヒルクライム、夜間のガマンの走り、そして別れ。
ここでもスタッフの方からこの先の道について解説があった。今回のブルベのメインとなる峠の舟鼻峠は約10km、平均5〜6%の登り。ピーク地点はスタートから約202km地点のはず。キューシートのNo.には出てこないが、峠のピークはすべてキューシートに挿入しておいたのだ。ここさえ終われば前半の山場は終了だ。がんばっていこう。予定より30分遅れで出発。
覚悟はしていたが、本当に真っ暗闇の中でのヒルクライムになってしまった。左ハンドル下のキャットアイHL-520×1、右ハンドル下のKingpower K2×1、前輪ハブ軸のキャットアイHL-520×1、ヘルメットのキャットアイTL-LD260-F、そして後部やヘルメットの赤LEDをすべて点灯。前方の暗闇を照らし出す。角度の調整がうまいこと決まり、やや遠く・やや近く・そして地面のすぐ近くといい具合に照らせている。それにしてもメーターの進みが遅くて遅くて、いったいいつになったら登り終わるんだウォ〜!
予定より30分遅れのまま、峠のピークらしき場所に到達。ミニ羊羹と水を口にし、息を整える。そのとき後ろから迫ってきた一台のクルマ。僕の横で停まり、中から「この先もう少し行ったところがピークですよ−」と言われた。あ、スタッフの方のクルマだったか!え!?ここがピークではないのか〜〜。
さらに何百メートルか進み、ようやく舟鼻峠の本物のピーク。先ほどのスタッフのクルマが停まっていて、「ここが地図上のピークです」と教えてくれた。標高570mから登り始めて、ピークは1040mぐらい。今回のブルベは距離だけでなく獲得標高も多い山岳コースだ。
この先はロングダウンヒル。3灯点灯のまま、猛スピード・・・は危険なのでやや猛スピードで下っていく。思わず肩に力が入ってしまう暗闇のダウンヒル。ガードレールがないコーナーもあるそうなので余計に気をつけねば。ダウンヒルなのにちっとも楽しくない。
長い下りを終えて、野尻川沿いの集落をいくつか通り抜けている最中、またもや雨が降ってきた。時間は夜9時過ぎ。すぐやむかな・・・・と思って、いいペースを崩したくなかったのでそのまま停まらずに走り続けるが、降りが強くなってきた。くっ、また雨かよ!今日の午前中だけじゃないのかよ!しかも霧が出ているのか、あたりは白く曇っていて先が見えにくい。ライトの照射の軌跡が前に伸びているのが見える。次に軒下を見つけたらそこでレインウェアを着込もう。
そして会津中川のとあるシャッターの下りた建物の自販機の前で、再びレインウェアとネオプレンのグローブを取り出す。グローブを2つ持ってきているのは、防水グローブで手を濡らさないためではなく、雨が上がったときに濡れていないグローブに交換するためだった。それにしても脱いだり着たり、この時間のロスも後で効いてくるにちがいない。めんどくせぇなぁ・・・
着ているうちに、雨の降りが強まってきた。降り方を見たらむしろ今日の午前中よりも降りがひどい。やはり停まって正解だった。そこへ再びスタッフのクルマが追いついてきて、「たぶん通り雨だと思うんだけれどねぇ」と言われる。通り雨でも、この降りの強さではレインウェアを着ざるをえない。今回は徹底的に雨を嫌っていくつもりなので(特に下半身。濡れると肌がふやけて、股ずれやケツずれの進行が早まる)、横着せずにシッカリ着込むのである。
再出発し、只見川沿いに出るが、真っ暗で川なんかちっとも見えない。明るかったら山奥のリバーサイドラインで気持ちいい景色が広がっているんだろうけれど。
この只見川沿いにはJR只見線が走っている。冬は雪が何メートルも降り積もる豪雪地帯だ。これぞローカル線という風情の只見線には2回ほど乗ったことがあり、一昨年の冬、18きっぷの鉄道旅行では一面真っ白な車窓の風景を眺めていた。
その前は1999年、ゴールデンウィークの旅行でやはり鈍行列車で出かけ、只見川近くの沼沢湖の民宿に泊まったことがあった。作家の椎名誠が監督を務める映画「あひるのうたがきこえてくるよ。」のロケ地となったのが沼沢湖。映画に出てくる景色を探し求め、村や湖近くを歩き回ったものだ。作風が丸くなってからの彼の作品は読んでいないが、中学から高校、大学生の頃にかけて椎名誠にはずいぶん熱中しており、60冊ほどの著書を読んだことがある。サインをもらったり握手してもらったりと(手が分厚くて大きかった)、かつてはたいそう傾倒したものだ。
・・・そんな電車旅行で訪れた場所に、今日は自転車で自走してきているから不思議だ。ランドナーでの初旅行は輪行を利用しており、そのときも「まさか自転車で来ようとは」と思ったが、今回は自宅から前泊の宿を経て、ここまで一気に自転車の線がつながっているのである。当初このコースが発表されたときはこんな山中含めて600kmなんてありえない!と思ったが、参加して本当によかった。何か自分に縁があるコースだからこそモチベーションが保てる。
只見川沿いは絶えずアップダウンが続き、トンネルやスノーシェイドが連発する。いつものツーリングでトンネルやスノーシェイドに出くわすと勘弁してくれよと思うが、真っ暗な中走っていると、灯りのついているこれらの難所も癒しのポイントになるのだった。
そんなトンネルの一つの中で、二人組のブルベ参加者が停まっているのが前方右側の歩道の上に見えた。一人は自転車をひっくり返しており、もう一人は歩道の上に仰向けになって横になっていた。なんだ!?と思って近づいてみると、一人はパンク修理、もう一人は仮眠だった。この時間で仮眠とは、かなり疲れが来ているのだろうか?
その後もトンネルとスノーシェイドのくり返し。そしてまた別なトンネルで、出口近くの歩道にまた一人停まっているのが見えた。地面に座って自転車をいじっている。ここにもパンク被害者が・・・と思ったら、はるか先を行っているはずだったライジン氏だった!なんとタイヤがバーストしてしまったらしく、直しているところだった。
「穴ふさげましたか?クリアファイルとか・・・」と僕。ライジン氏は「こういうときには千円札って言うじゃん」とのこと。千円札は意外に強度があり、非常時に役立つと、たしか米津一成さんの最新刊「ロングライドに出かけよう」にも書いてあった。ライジン氏はほとんど修理を終え、これからタイヤをセットし直すところのようだった。ライジン氏の脚なら、またじきに追いついてくるだろう。僕だけ一人で先行することにする。
雨はもう止んでいたが、いつまた降り出すか分からないのでレインウェアは着たままだ。このまま次のPCまで着たままでいいだろう。この先の天候がサッパリ読めない。
会津宮下で只見川を離れ、ここからは再びヒルクライム・・・に入る前に、ヒルクライムへの分岐点No.37で、日光杉並木でところどころ一緒だったPDA型GPS付きの赤ジャージ氏、そしてもう一人ソロのロード女史が停まっていた。はて、分岐のどちらだ。分岐の又になっているところで、オレンジ色の街灯の下でGPSとキューシートを見直す。「橋を渡らないと書いてありませんか?」と赤ジャージ氏。おお本当だ、道なりに進んでいたら思わず橋を渡ってしまいそうになる。あぶねぇあぶねぇ。また何百メートルかズレてから戻るハメになるところだった。赤ジャージ氏とロード女史は、後続の人を案内するために停まってくれていたのだろうか?
またしても暗闇の中へ突撃。三人でライトを前方に集中させるようにして進んでいく。自分だけのライトで進むよりも走りやすい。登りがきつくなり始めたところで脚がそろわなくなり、僕だけインナー×インナーで先行。何人かを追い越し、ピークで休憩。ミニ羊羹と水。そしてクエン酸&BCAAドリンクも。
日向倉山西側のこの名もなき峠、想定外に消耗してしまった。名もなき峠というのはあまり覚悟ができていないから、傾斜以上にこたえるものだ。登り始めてから、何だかんだで200m以上登っている。
国道49号まで駆け下り、予定よりも20分遅れで271kmのPC3(西会津)に到着。
ここは有人チェックなのでスタッフのワゴン車前の受付へ。スタッフの前のテーブルには名簿が広げられており、参加者一覧のマス目には、ここまでのPCのレシートの時間と、このPC3での時間が記入されている。
ここでアッ!となった。
ライジン氏の欄に「DNF」と書かれていた。何ということだ。バーストは直ったんじゃなかったのか。ライジン氏は前回の埼玉600kmでもDNFで、今回が再チャレンジだったはず。そういえばバースト地点からここまで結局ライジン氏に追いつかれることはなかった。うーむ悲しいぞ、これは。知っている人が離脱してしまうのはとても寂しい。
コンビニで買い物をし、トイレを済ませ、カップラーメンを食べているとき、駐車場でライジン氏と再会。「名簿でDNFって見ましたよー。バースト直ったんじゃなかったんですか?」「え?もう名簿って出ているの?結局あの後またすぐ何度もバーストしちゃったんだよね」・・・バーストは完治しなかったらしい。
たしかに千円札にせよクリアファイルの小片にせよ、あくまで応急処置に過ぎない。通常のタイヤとしての耐久性は戻らず、本来ならタイヤを交換するべきところだろう。ではタイヤの予備を持って行けばいいのかというとそうとも限らず、リスクに見合わない斤量増加は、これまた完走を危うくする要因だったりするから難しい。要するにブルベの準備で絶対的な正解など存在しないのだ(今回、序盤でランドナーに両サイドバッグをぶら下げて参加している人も見かけた)。
この先も難所はまだまだ続くし、そもそもまだ全コースの半分も消化していない。撤退できるうちに撤退するというのは、残念ではあるけれど、リスクマネジメントの観点からは賢明な判断だと思う。本当に進退窮まれりという状況になってから右往左往するようでは遅い。
ブルベで何を重視し、何を捨てるか。それは各人が自分の力と相談して決めるしかない。誰か他の人に質問をしてアイデアをもらえたとしても、それが自分にとっての最適解かどうかはまた別で、あくまで選択するオプションが増えるだけという話だ。
たとえば今回、いや今回に限らず僕はブルベに輪行袋を持ってきたことはない。家から完全往復自走することがポリシーであり、タイムアウトになろうと何だろうと自力で走って帰ることを揺るがせるつもりはないからだ。「もうやめちゃおうかなぁ〜」という気持ちを完封するのだ。
でもフレームを縛るためのストラップやガムテープ(古いテレカなどに数メートル分だけ巻き取ってコンパクトにする)、70Lの大型ゴミ袋数枚だけは持ってきている。心理的にではなく、フレームが折れたとかクランクが折れたとか、その他物理的に走行不能になったときの最低限の備えだ。
そもそも輪行袋を持っていたからといって、それが役立つのは鉄道や公共交通機関の路線の近くにいてこそ。たとえば誰も通らないような真夜中の峠でリタイアしたとき、自転車を輪行袋に詰めて、それでどうすればいいというのか?結局そこから駅なり集落なりまで自転車を担いで歩かねばならない。
そう考えると、東京の多摩サイや荒サイ、尾根幹で自転車がつぶれても、福島県の山中で自転車がつぶれても、輪行袋を持っていても駅までが遠ければ結局はしんどいことに変わりない。
考えようによっては、撤退のしやすさを考えるなら、クリートが地面に当たらないMTB用SPDシューズを履いていく方が、輪行袋を持って行くよりもよっぽど貢献度が高い。たとえば「タイムのロード用ビンディングシューズ+輪行袋」と、「MTB用SPDシューズ+70Lゴミ袋とストラップ・ガムテープ」を比べれば、後者の方が撤退が容易だと思う。
といってもこう言い切るのはあくまで僕一人の見解に過ぎず、異論もいろいろあると思う。ならば各人、それぞれの備えで参加すればいいだけのことだ。解が一つではない・・・これはまちがいなくブルベのいいところだと思う。
さて、ここPC3は、距離としてはまだ半分以下だが、心理的には折り返しポイント。そしてここから夜通し東に向かって会津若松・猪苗代・郡山と走り、郡山の仮眠ポイントで何時間寝られるかが完走の分かれ目だと見ている。
ここでは大休止で30分のつもりが、なんと50分以上も休んでしまった。もちろん休むだけではなくレインウェアをしまったりサイクルタイツにシャモアクリームを塗り直したり、チェーンに注油したりといろいろやることがあるのだが、さすがにそろそろ出かけなければ。
休んでいる間に、最後尾グループが少しずつPC3に追いつき始め、人数が増えてきたが、たぶん自分も含め、このグループは仮眠時間はほとんど取れないだろう。少なくとも3時間とか4時間とか、まとまった量は寝られないはず。休んでいるグループの中には、先ほどの実況中継氏の顔も見える。
そして、まだ残っている人たちは「この先健康ランドはもう素通りして、その先の公園のペンチとかで寝るしかないんじゃないか?」というような相談をしていた。
うーむ、それで寝られるのだろうか?眠気を飛ばせるのだろうか?眠気をこらえながら蛇行するようなのは今回は避けたい。しかもまた雨が降ったりしたら最悪だ。どれだけ短時間でも、寝るなら屋内で横になって寝たい。健康ランド以外でそんな都合よく横になれる場所が現れるかどうかは分からない。そしてそういうところで寝られるほど自分がタフだとも思えない。
健康ランドに寄るつもりのない彼らとは一緒には走らず、ここは一人で先へ先へと突出した方がよさそうだった。よし、ハラは決まった。
時間は夜中の0時10分。次のPC4までは76km。仮眠ポイントの健康ランドまでは77km。予定では健康ランドには4時に着いて6時に出発するつもりだったが、ちとしんどい。77kmを4時間切る速さで進むのは、この先のアップダウンや、猪苗代湖に向けてのヒルクライムを考えれば無理そうな感じだ。PC4および健康ランドに何時に着こうとも、6時に出発する。それまでの睡眠時間を稼ぐためにPC3からPC4まで垂れずに走れるかどうか、ここから先の数時間がカギ。
そして単騎、PC3を後にし、国道49号を東へ向かって走り出す。
前にも後ろにも誰もいない。ライジン氏はリタイアした。前後数kmのゆるやかな集団の中でペースを作ろうというクラウド作戦はとっくに破綻している。いろいろなことが事前のプランとはズレている。それでも今はとにかく先に進まなければならない。
(つづく)
XOOPSの階層が深いと検索のクローラーに拾われにくいのか?それともURLの階層が浅くなるような偽装をしなきゃいけないのか?
http://www.nanchatte-charider.com/modules/touring/200906aidu.html
このFC2ブログにアップした記事の方が、即座に拾われるような気がします。FC2ブログは、ニュースをコピペしただけのようなSEOスパム的なブログも多いので、Googleからは嫌われるかと思ったのですが。
ウェブデザイナーやコーディングスタッフ、テキストを書く人たちがせっせと築き上げたものよりも、SEOスパマーたちのマシンガン射撃の方が勝るなら、そんなアホらしいことはないよな。
てなわけでFC2ブログにもブルベのレポートを転載。しばらく検索結果の様子を見ることにします。(まったく同一のテキストがウェブ上に複数存在するのも、それはそれでよくないらしいが)
なお、過去のブルベのレポートについてはこちらです。
→【2008BRM120 埼玉200kmアタック霞ヶ浦】(簡略版)
→【2009BRM222 埼玉200kmアタック横川】(詳細レポート)
→【2009BRM320 埼玉300kmアタック日光東照宮】(詳細レポート)
→【2009BRM516 千葉400km】(詳細レポート)
「しんどかった」「達成感があった」などの一言では済まない、ネガティブな要素たっぷりのリアルなブルベ体験記をご覧下さい。それではどうぞ。(注:全部読むのに1時間以上かかります)↓
http://www.nanchatte-charider.com/modules/touring/200906aidu.html
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ふぅふぅ言いながら、ようやく書き終えました。
ブログで流れていってしまうのはあまりにもったいないので、秘密裡に作っている(けど止まっている・・・)XOOPS版なんちゃってチャリダー通信の方で公開しました。
感動のというか安堵の完走だけでなく、トラブル、雨、しょうもないミス、ブルベ的には致命的なミス、無念の手押し、負ってしまったケガ等々、ネガな要素もたーーっぷりてんこ盛りのレポートをご覧下さいませ。
→http://www.nanchatte-charider.com/modules/touring/200906aidu.html
ブルベのレポートって、「ロード」に乗っていて速い人の記録が多いけれど、ツーリング派のレポがあってもいいじゃん?って思います。実際には、遅いと「ツーリング」する暇はないんですけどね・・・。
眠らないと記憶が定着しないって、勝間和代センセーは書いてはりますが、記憶が薄れないうちにテキストに残せて、ホッとしています。もう二度と走らないかもしれんし。ただ、どの区間、どのPCでしゃべった話かなどは、微妙にちがってるかも。
今頃は千葉600kmに参加している皆さんが走っていますね。もうあと1〜2時間ぐらいでゴールかな?がんばらなくてもいいから、無事に戻ってきてほしいです。天気はもってくれるかどうか??
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朝一番で鍼灸・接骨院へ。今日は鍼を打ってもらいました。テーピングも教えてもらった。
続いて歯医者へ。今日は消毒の日。
「どれどれ。おー、きれいになっていますね。これはすごい」とセンセー。
「へー、ものすごい回復力だなぁ。これだけ治りが早い例は久々に見ます」
「やっぱりスポーツマンだからですね〜」
だから、決してスポーツマンではないのですが・・・・
もう、自転車の大会に出るというだけで、バリバリのロードバイク乗りだという勘違いをされてしまいますね。
続いて歯医者へ。今日は消毒の日。
「どれどれ。おー、きれいになっていますね。これはすごい」とセンセー。
「へー、ものすごい回復力だなぁ。これだけ治りが早い例は久々に見ます」
「やっぱりスポーツマンだからですね〜」
だから、決してスポーツマンではないのですが・・・・
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